逆にいうと被災地の現実を知り、その人達に尽くすことで朝子は大人になったといえます。
しかもここで一人ではなく亮平も一緒であることが彼女の支えにもなっているのです。
積み重ねられた信用貯蓄
二つ目に5年の月日を経ていく内に亮平と朝子の信用貯蓄が長く積み重ねられたことが分かります。
それは亮平が「麦と似ていたから好きになった」と自虐ネタを披露していることからも明らかです。
更にその後朝子は春代から麦の名前を聞いてもときめかず、黒いバンに手を振るシーンがあります。
そう、麦の壁を亮平も朝子もすっかり乗り越えて一緒にやっていける位に成長したのです。
同時にここで上記した「お互いに同じ方向を見る」ことがボランティアを通して出来ていたのでしょう。
二人がこのボランティアを通じて培ってきた信用はそう簡単になくならないことが窺えます。
風化させてはならない震災の痛み
三つ目に現実問題として震災の痛みを風化させてはならないという狙いがあるのではないでしょうか。
原作では東日本大震災ではなく2004年の新潟県中越地震でしたが、あちらは歴史的事件ではありません。
既に10年近くが経過したにもかかわらず震災の遺恨は被災地に根強く残っています。
阪神淡路大震災を超えるレベルの自然災害の脅威はまだまだ去っていないのです。
その現実をボランティアを通して伝えていく努力がこのシーンからは窺えます。
故に受け手もまたこのシーンを決して忘れてはいけないことが示されているのです。
純粋と狂気は紙一重
ここまで綺麗に考察してきましたが、朝子の行動を見ていると純粋と狂気は表裏一体だと思わされます。
上でも触れましたが、朝子の一途さはよくいえば「純粋」であり悪くいえば「狂気」です。
自分を心配してくれる男よりもいつ帰ってくるか分からない不安定な男は普通の女性なら選ばないでしょう。
東日本大震災のことで我に帰ったから良かったものの、下手すれば夢から覚めないままの可能性もありました。
そんな朝子の可愛さと裏腹の危うさは彼女だけではなく実は誰もが持っているのかも知れません。
常識や理性で蓋しているだけで、人間は二面性を常に孕んだ生き物だということを朝子は教えてくています。
理想先行よりも現実先行
本作を最後まで見ると、理想先行よりも現実先行の方が上手く行くであろうということが示されています。
現実が見えてない朝子の理想は無残に打ち砕かれ、現実に軌道修正されて何とか生き延びています。
ですが、男女の関係に限らず人間関係とはそのようにして現実に合わせて理想を作るのが良いのかも知れません。
全く違う赤の他人が一つ屋根の下に住むのは分からないことだらけで、そういう意味で結婚はギャンブルです。
そしてそのギャンブルをものに出来ていくかどうかを三者の関係を通して描いたのが本作ではないでしょうか。