デズモンドの場合は志願して入隊していますが兵士になることは拒否しているのでこう呼ばれたのでしょう。
彼は『国のために戦う』のではなく『国のために戦う人の命を助ける』ことで国家に貢献しようとしています。
幼少期には暴力ばかりで憎んでさえいた父親に救われたデズモンドはドロシーに言いました。
「お父さんは?帰ったの?お父さんに愛していると伝えて欲しい。」
引用:ハクソー・リッジ/配給会社:キノフィルムズ
裁判で認められたのは彼の信念ではなく上官の命令は絶対という事実ですからデズモンドは罪に問われなかっただけです。
結局のところ彼の気持ちなど軍人には到底理解できるものではありませんし認められるものでもないでしょう。
裁判にしても判決結果にしてもまさしくアメリカを感じるシーンでした。
父親の心
酔うと暴力的な父親とその父親を見捨てない母親の間で神に祈り続けていたデズモンド。
彼は判決の瞬間まで父親という人間の心を理解していませんでした。
父親を愛していると言ったのは助けてくれたからだけではありません。
幼い頃に母親が言った言葉の意味がようやく理解できたからだと思います。
「お父さんは私たちを嫌っているのではないの。お父さんは自分を憎んでいるのよ。」
引用:ハクソー・リッジ/配給会社:キノフィルムズ
戦友の墓群に何度も足を運ばせる監督の意図は父親の傷の深さと友を救えなかった自責の念を表現するためです。
死んだら犬死、生き残っても地獄。なぜ人類は戦争を繰り返すのかを自問してしまう見事な演出でした。
敵兵を助けた真意
日本兵に追われ逃げ込んだ地下道で傷ついた敵にモルヒネを打ったデズモンド。
このシーンにこそ彼の信念が溢れています。
デズモンドは戦争を肯定しているわけではなく必然と捉えていますから反戦論者ではありません。
彼にとって今そこに居る傷を負った人間を助けることは『神の御意志』であり『神の指示』なのです。
衛生兵としての信念
息をしている限り救護対象として行動するのが衛生兵デズモンドの信念です。
健常な状態でも身動きが難しいほどの砲弾の雨の中、両足を付け根から失った人間を担ぎ走る彼の姿は神々しくさえありました。
あの激戦の中でデズモンドはずっと神の声を探しています。
「どうすれば良いのですか。僕にはわかりません。声が…声が聞こえません。」
「…」
「わかりました」
引用:ハクソー・リッジ/配給会社:キノフィルムズ
神の声を必死に聞き取ろうとするデズモンドの耳に届いた助けを求める人の声。
これが神の声であり神の御意志だとデズモンドは信じ走り出します。
助けを求める声は全て神の声と思っているデズモンドにとって敵も味方も関係ないのです。
デズモンドの武器
第二次世界大戦末期の中でも激戦とされるハクソー・リッジの攻防戦において丸腰で走り回るなど狂気の沙汰です。
彼は死なないとは思っていませんし死ぬかもしれないという恐怖と戦い続けています。
神の意志を全うするという信念で救護をし続けるデズモンドが持っていたのは『モルヒネ』と『止血ベルト』でした。
彼はこの二つを武器に迫りくる死と戦い続けたのです。
デズモンド・ドスという人間
幼少期からの行動やドロシーに対する積極性などからデズモンドは思い込みの激しいタイプといえるでしょう。