幸夫を見ているとそんな自分がちっぽけに思えて思わず恥じてしまったのではないでしょうか。
だからこそ思い切って自ら踏ん切りをつける決心をしたことがこのシーンから窺えます。
仕事一筋にしたかった
二つ目に挙げられるのが、子供の面倒を見ず仕事一筋にしたかったからではないでしょうか。
幸夫は作家として孤独で不倫までして人としては破綻していながらも作家としては一流であるのも事実でした。
もしかしたら妻の思い出も忘れて仕事一本にすることで幸夫みたいになろうとしたと思われます。
しかし、そういいながらも結局は夜更かししている真平に「早く寝ろ」と構わずにいられないのです。
それは家庭を持つことが必ずしもプラスに作用する訳ではないというままならない現実との戦いでもありました。
でもそれが出来ない所が陽一の陽一たる所以でしょう。
疑似家族と本物の家族
このシーンの前に幸夫が真平に勉強を教え面倒を見ているなど陽一以上に父親をしていたことが挙げられます。
作家故に頭もよく勉強のことなら細かく教えられる教養もある幸夫は陽一からしたら羨望と嫉妬の対象でしょう。
皮肉なことに幸夫が大宮一家に羨望と嫉妬を抱いていたように、陽一もまた幸夫にそれを感じていたのです。
本物の家族よりも疑似家族の方が遥かに家族らしいという事実をこの行動は暗に認めてしまっています。
終盤の交通事故でその過ちに気付き陽一と真平達大宮一家がまるく収まったことが不幸中の幸いでした。
死とは案外近くにあるもの
原作者の西川美和は本作を書くヒントに2011年の東日本大震災があったことを語っています。
実際本作でもそれは盛り込まれており、幸夫に「震災と事故は違う」と反語的に述べさせていました。
しかし、本作が家族の死というミクロに落とし込んだのは死が案外身近にあることを知らせるためです。
人間が想像する悲惨な死とは自然災害や戦争・飢餓といった非常に大規模で深刻度の高いものを想像します。
しかし、人の死とは自殺・他殺・事故・病死という形で意外と近くに訪れるものなのです。
そしてそれを他人事ではなく我が事だと幸夫達を通じて考えさせ向き合ったのが本作ではないでしょうか。
誰にとっても実は隣にある筈の”死”と向き合うことで人は初めて成長出来るのかも知れません。
当たり前のことこそ感謝の気持ちを
こうして見ていくと、当たり前のこと程我々は感謝しないといけないことに気付かされます。
幸夫も陽一も、そして陽一の家族達も決して一人ではなく周囲との支えに生かされているのです。
でもそれが当たり前になると感謝の気持ちを忘れてしまい、そうなると人はどんどん離れていきます。
実際に幸夫からはどんどん人が離れ、陽一も一度はその道に落ちかけ、しかし最後は家族に救われました。
今こうして生きていられること、好きな人や愛する人と一緒に居られることは絶対ではありません。
そこに向き合うことが出来て初めて人生は意義深いものになるのだと教えてくれた名作です。