その心情を細かく見ていきましょう。
プライドが満たされる
まずこのシーンで大事なことは良多の父がヒットした小説を自慢していたことを知ったことです。
生前喧嘩していた、もっとも認めて欲しかった父に認められたと知ったことでプライドが満たされたのでしょう。
小説家としてのプライドが単に過去の栄光に縋るだけではなく、誰より父に認めて欲しかったのです。
そのことが何より嬉しかったことがラストで漸く見せる憑き物が落ちたような表情で分かります。
まず第一にここで彼の作家としての過去が独自の形で報われることになるのです。
手放せなかった執着
とはいえ、良多はその執着を手放すことが出来なかったのか硯を高値で手放すことが出来ませんでした。
折角母から「幸せは諦めないと手に入らない」と諭されたにも関わらず、執着していたのです。
ということは即ち彼はまだ本当の意味でダメな自分から解放されていないのではないでしょうか。
それだけ大事なものだったからでしょうが、まだ物欲・支配欲への執着を手放していません。
故にまだまだ真の作家としての道のりは遠いものと思われます。
元家族への未練を断ち切る
このシーンの後一つ変化が描かれており、良多は響子と真悟に養育費を払う約束をし雑踏へ消えていきます。
これは元家族への未練を断ち切って、彼なりに前に進むことが出来ていると示したのではないでしょうか。
勿論人間はそう簡単に変わらない生き物ですから、良多だっていきなり真人間にはなれないでしょう。
しかし、ゆっくりでも時間がかかっても今現在からやり直していくことは出来る筈です。
その為にまずは身近な足元のことから始めるというスタートラインに漸く立てたと推測されます。
なりたい大人になれなかった理由
何故良多をはじめ本作の大人達が挙って「なりたい大人」になれなかったがここまで考察して見えてきます。
それは彼らが「今ある自分」としっかり向き合うことが出来ていないからではないでしょうか。
大概のなりたい大人像は自己分析すらまともに出来ず地に足の着いてないからズレが生じてしまいます。
そして二つ目に過去の栄光や自分を縛っている大切なものを手放す、即ち断捨離が出来ていないからです。
良多はそれが出来ず執着し続けて奪ってやろうという考えしかないからダメな大人達しか周りには居ません。
そのことに気付く・気付かせるまでを描いたのが本作だったのではないでしょうか。
第二・第三の良多にならないために
いかがでしたでしょうか?
本作は些か逆説的な形で「どうすれば第二・第三の良多にならないで済むのか?」を示しています。
まず一つには夢見がちな理想論ではなく徹底した自己分析と夢に向かうための行動力です。
そして二つ目に過去の栄光や物欲・支配欲などの執着をしっかり断ち切ることにあります。
殆どの人はその足下がお留守な上に途中で諦めてしまうからなりたい大人になれないのです。
そのことを良多を中心にした本作の大人達は示し、受け手にいい大人になるヒントを与えてくれます。
そのことに気づけたときにこそこの映画の真価は分かるのではないでしょうか。