出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07HG2JQMJ/?tag=cinema-notes-22
映画『怪物はささやく』は2016年公開のパトリック・ネスの原作小説を映画化した作品です。
監督はフアン・アントニオ・バヨナ、主演はルイス・マクドゥーガルが演じています。
怪物役のリーアム・ニーソンは声とモーションピクチャーのみの出演ですが、非常に精巧な演技でした。
技術面も含む数々の演出・演技が評価された本作は以下を代表で受賞しています。
エンパイア賞SF/ファンタジー作品賞
ワシントンD.C.映画批評家協会賞声優賞
ガウディ賞作品賞・非カタルーニャ語映画賞・監督賞・プロダクション賞・美術賞・編集賞・撮影賞・音響賞・特殊効果賞引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/怪物はささやく
物語は13歳の少年の前に突然現われる怪物が語る3つの物語と最後に語られる4つ目の真実が中心です。
本稿ではラストのスケッチブックの意味をネタバレ込みで考察していきましょう。
また、怪物の話が矛盾だらけの理由やハリーが握手した理由についても併せて見ていきます。
生と死
本作は物語の構造が少年コナーと母親を巡る「生と死」の物語になっており、語り口も独特です。
怪物が少年に3つの物語を語って揺さぶり、そして最後に真実と向き合えと訴えかけます。
あからさまなたとえ話の構造となっているので、表面だけを見ていると難解だとする向きもあるようです。
しかし、大事なのはあくまでも少年コナーの心の葛藤であり、12歳であることにも大きな意味があります。
本作にある数々の仕掛けの奥にある生と死の本質を考察していきましょう。
ラストのスケッチブックの意味
本作のラストはスケッチブックを眺める少年のシーンで締めくくられます。
彼が目にしたものは怪物の上に乗る少女の絵でした。一体何を意味しているのでしょうか?
少年期から思春期へ
この絵が意味するものはコナーが少年期を終えて思春期への仲間入りを果たしたということです。
一つの通過儀礼として象徴的に怪物と仲良くなることが出来たコナーへのお祝いの絵となります。
成長とは常に「死」と「別れ」を経験し、それを踏まえながら大人になっていくものです。
この絵を見たときの目を潤ませながらも憑き物が落ちたかのようなコナーの表情にそれが表れています。
あれは心の試練を乗り越えた者だけが纏うことが出来る大人の顔ではないでしょうか。
負の感情と友達になれた
二つ目にこの怪物はイチイの木ですが、イチイの木は「高尚」「残念」「悲哀」という意味があります。
物語全体の流れでいえばコナーの前に現われたイチイの木は「悲哀」の側面が強く表れていました。
その悲哀の木の上に少女が乗っているということは「悲哀」という負の感情と友達になれたということです。
コナーが母の死と向き合う上で一番辛かったのは自身の負の感情を受け入れられなかったことでしょう。
どこか「良い子」でいなければならず、嫌な感情などあってはならないと思い込んでいました。
それを我が物とし、汚れた悲しい側面も受け入れてこそ大人になれるのだと示しています。
生は死によって支えられている
三つ目にコナーの生が母の死によって支えられていることを意味しているのではないでしょうか。
この一枚の絵で少女=コナー、怪物=母親と示された時にこの解釈が可能になります。
色を見ても分かりますが、怪物はどこか禍々しい「死」をイメージさせるような色です。
それに対して赤と白で統一されている少女の姿はどこか明るい「生」をイメージさせます。