即ちコナーの生は母親の死によって支えられており、母親の死が少年の生きる根っこを太くしたのでしょう。
哲学的な生命の根源を一枚の絵で示したことでこのラストが深みのあるシーンとなったのです。
怪物の話が矛盾だらけな理由
イチイの木の怪物は少年に三つの物語を語ってみせますが、その物語はいずれも矛盾ばかりでした。
一つ目が善悪を心の中に持った王妃と王子様のお話、二つ目が強欲な薬剤師と穏やかだが信念のない牧師のお話。
そして三つ目が誰からも見て貰えないことに嫌気が差した承認欲求を持つ男のお話となっています。
これらの物語を怪物が語って聞かせた理由を、そして三つの物語の意味を見ていきましょう。
清濁併せ呑む
まず一つ目に人間自体が清濁併せ呑む生き物であり、表面だけでは分からない複雑さがあるからです。
最初の二つの物語が示したことは決して善悪や記号で単純化されない大人の物語でした。
一つ目が魔女扱いされ追放された王妃と実は農家の娘を殺して王の座についた王子様という構造です。
これは表面に見えるイメージと人物の中身が正反対であるという実像と虚像のギャップを演出しています。
二つ目は強欲で嫌らしいのに信念は貫いた薬剤師と村人や娘の為に日和見主義へ成り下がった牧師の話です。
どちらも人間として必要なものが欠けていて、薬剤師は優しさであり牧師は強き信念という落ちとなりました。
これら二つの物語はコナーがいずれ向き合って生きるべき大人の世界の残酷さ・複雑さを示しているのです。
それまで単純かつ一面的な勧善懲悪の世界に生きていたコナーの価値観を二段階かけて壊しました。
現実のメタファー
そして三つ目の物語が今現在を生きているコナーの現実のメタファーだからです。
透明人間の物語はコナー自身であり、コナーは周りから無視されることに耐えられませんでした。
しかし、ハリーからいじめられることで「いじめられっ子」として認知されていたのです。
承認欲求の塊であるコナーは見事ハリーへの逆襲に成功したものの、逆に存在感を失いました。
これは矛盾というよりは皮肉で、いじめられっ子以外のステータスや認知が何一つありません。
つまりそれだけシビアでドロドロとした複雑怪奇な世界に生きていることを示したのでしょう。
ダメな自分を認めさせるため
そして四つ目の物語で今度はコナー自身が本当は母と別れるのが誰より辛かったことを自覚します。
ここでコナーは自分の弱さ・醜さ・無力さといったダメな自分を認めるに至ったのです。
物語が全て矛盾だらけだったのは何よりもコナーの行動と心が矛盾していたからでした。
しかし、いきなり最初からコナー自身の物語を突きつけてもコナーの頭と心では受け入れられません。
だからこそおとぎ話のような子供向けの物語から段階を踏まえてコナーの本質へ切り込んでいったのです。
自分の矛盾と本心を認めた時こそコナーは成長すると知らせるのが怪物の役割だったのではないでしょうか。
ハリーが握手した理由
コナーのクラスメートにハリーといういじめっ子がいて常にコナーを悩ませる存在でした。
しかし彼は何故かいじめっ子にもかかわらずコナーに握手を求め、実際に握手するのです。