天才物理学者にして合理主義者の彼が「天才」と認めていたのが石神です。
将来はそれぞれに日本を背負う程の人材として競う未来を想像していたのではないでしょうか。
それだけに親友がその天才的な頭脳と知略を間違った使い方をしたことへの失望も深かったはずです。
その証拠にそっとアシスタントの薫が慰めていたことが全てを物語っています。
自分の鏡面
二つ目にそんな石神の存在は自分が落ちていたかもしれない鏡面に見えたのではないでしょうか。
なまじ突き抜けた頭脳を持った存在同士、普通の人のような生き方が出来ないのです。
湯川は幸いなことに物理学者として大成していますが、一歩間違えれば彼も犯罪者になりかねません。
時として合理主義過ぎるが故にドライで非情な選択をすることさえあります。
その合理主義が完全に悪い方向に作用するとどうなるかを石神を通して見せられているのです。
責任
湯川と石神の対比は正に「英雄と大悪党は紙一重」という教訓を示してくれました。
普通の人に出来る生き方ではない突き抜けた存在だからこそ一流になれた二人です。
しかし、関わる人や環境など諸々が作用して英雄となるか大悪党となるかが決まります。
だからこそ大悪党に落ちてしまった親友を告白することで責任を取ろうとしたのではないでしょうか。
それこそが湯川に出来る唯一の友としてのあり方です。
愛ではなく依存
こうして考察してみると石神の花岡親子に対する愛のあり方は愛ではなく依存ではないでしょうか。
何故ならば石神の中で自分の人生の意義が他人の人生を応援することになってしまっているからです。
つまり自分の軸が完全に他人に依存してしまっている時点でそれはもう愛ではありません。
本当に花岡親子を愛していたならば、罪を重ねるのではなく罪を償う方向へ持っていくべきです。
それをせずに最後まで「何故だ!」と喚いた時点で彼の人生は崩れるべくして崩れたのでしょう。
自我を強く持つこと
こうしてみると、本作は「自我を強く持つこと」の大切さが浮き彫りとなります。
同じ位高い才能に恵まれながら自我を貫いた物理学者と自我がブレていた数学者崩れの人。
二人の差を分けたのはブレない芯をしっかり持っていたかどうかではないでしょうか。
石神の花岡親子を幸せにするために生きるという気持ちは確かにそれ自体尊いものです。
しかしそれはあくまでも自分の為という軸が先に確立出来てないと意味がありません。
そのことを倒叙法でしっかり見せてくれた文句なしの傑作でありましょう。