75年のアニメ版ではボーボだけではなくもっと多くのネズミ達が死に、最後はガンバも死亡しました。
しかし、本作では「死の匂い」は薄まり、爽やかで前向きな「生き延びる」方向へとシフトしています。
これは恐らく時代の変化に伴った作風の変化であり、誰一人として戦って死ぬことをよしとしていないのです。
オオミズナギドリが意味するもの
この「生き延びる」という決意は終盤に援軍として現われるオオミズナギドリの登場でも示されています。
最初はノロイを恐れていたのに、終盤ではガンバたちの援護に駆けつけガンバと共にノロイを倒しました。
そしてラストでは潮路とガンバを背中に乗せ、まるで希望の翼かのように悠々と羽ばたいています。
つまりこのオオミズナギドリが意味するものは「未来に羽ばたく」という希望の象徴ではないでしょうか。
それは上述したボーボの死との強烈な対比となって、よりガンバたちの決意を色鮮やかに輝かせています。
世代交代
そして何より大きいのは希望の象徴であるオオミズナギドリを演じたのが野沢雅子であるということでしょう。
彼女は75年のアニメ版でガンバを演じており、即ち新旧ガンバの共演により世代交代が象徴的に描かれています。
戦後の匂いがまだ残り悲壮な空気の漂っていた時代から明るく前向きに生きる方へとエネルギーが変わっているのです。
それは「死をも恐れない決意」ではなく「未来へ生きる決意」であり、昭和が超えられなかった壁を超えたことを意味します。
『ONE PIECE』のような死生観
こうしてみると、本作はまるで『ONE PIECE』のような死生観の作品であることが窺えます。
即ち同じ海を出て新しい場所を目指す冒険活劇でありつつ、「死」に頼らない表現でロマンを描いているのです。
『ONE PIECE』が従来の冒険活劇と違っていたのははっきりと「自己犠牲としての死」を否定したことでした。
そうした変化を本作は敏感に嗅ぎ取って咀嚼・吸収することで既に旧式化した『ガンバの冒険』を再生させたのです。
この死生観の変化こそ本作が文芸として成し得た最大の功績であり、旧作のジンクスを見事に打ち破って伝説を塗り替えました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作はかつて昭和アニメの金字塔となった物語をその死生観や作風の変化と共に更新してみせました。
ドラマとしてみると些か駆け足気味であるが故に描写不足であるとかキャラが違い過ぎるとかいう批判もあるようです。
しかし、そうした批判を受けても尚本作は新しい子供向けの王道作品として復活・再生を果たしています。
勇敢なガンバとその仲間たちの美しき冒険は色褪せることなく受け手をいつの時代も魅了し続けることでしょう。
まだまだ子供向けの王道作品はなくなることはない、そんな可能性を大いに示してくれた良作です。