これはニールに限らず彼の友人のエド・ホワイトはじめ色んなNASAの職員の思いです。
幾ら下準備をしたとしても、月面着陸を夢見るなんて子供じみた感傷だと傍目には思われるでしょう。
そういう青春、即ち「青臭さ」とはどうしても世間一般で悪いことの象徴としてやり玉に挙げられます。
しかし、青臭さとは肯定的に捉えれば「瑞々しい」、即ち輝きと希望に満ち溢れているということです。
本作が終盤で見せた青白い輝きに満ちた光は正に瑞々しい青だといっても過言ではありません。
娘の死が冒頭に示された理由
本作の驚くべきポイントとして、いきなりニールの娘カレンの死が冒頭で示されます。
何か不穏さ・不吉ささえ感じさせますが、どうしてこのような演出がなされたのでしょうか?
ここでは娘の死の理由について見ていきます。
「個」の物語
最初にニールの娘カレンの死を示すことで本作が「個」の物語であることを表現したかったのです。
上記した『ライトスタッフ』『アポロ13』『ドリーム』という先達の作品群と比較・検討してみましょう。
先達の作品群は「社会現象」「人類の歴史」といった俯瞰した視点で月面着陸が語られていました。
しかし、本当に大事なのはその偉業を成し遂げた方々の「個」の視点からの物語ではないでしょうか。
デイミアン・チャゼル監督は正にその観点に着目して本作を掘り下げようとしたのです。
そうなるとまず娘カレンの死というのはニールという個人を語る上で絶対に避けて通れません。
そのような「個」の物語であると受け手に娘の死という形で印象づけたことが窺えます。
宇宙空間≒死の墓場
2つ目に宇宙空間が死の墓場であるというニュアンスを演出したかったのではないでしょうか。
特にそれは月へと旅立とうとするニールを送り出す妻の次の一言に表現されています。
新たな出発、冒険ね
引用:ファースト・マン/配給会社:東宝東和
一見新たなる旅立ちへの門出を祝福しているようで、しかしその声はどこか不安に満ちていました。
それもその筈で、月面着陸という冒険の裏には常に死のリスクが伴うからです。
ということは即ち、宇宙空間≒死の墓場という不穏な空気を漂わせているともいえます。
今度は夫のニールが死んでしまうのではないかと妻をはじめ誰もが思ったことでしょう。
そのような死の匂いをより強調する為の演出であったとも考えられます。
多くの犠牲者
そして実際にニールは死ななかったにしても、NASAの一連の計画で実に多くの犠牲者が出ました。
訓練の際に起こったエリオットの墜落死や模擬訓練におけるエド・ガス・ロジャーの死が挙げられます。
そう人類初の偉業という輝かしい光の裏にはこのように多くの人々の犠牲があるのです。
その多くの人の死を予感させる意味でも娘カレンの死を冒頭に持ってきたのは大事ではないでしょうか。
またそれは同時に歴史的偉業は必ず「光」の裏に死という「影」があることの証明でもあります。
ニールが月を目指した真意
本作においてはこのように娘カレンの死をきっかけに多くの人々が犠牲になりました。
更にニールも運良く死にはしなかったものの、命がけのリスクを何度も味わうことになったのです。
そこまでして彼が月を目指した真意は果たしてどこにあるのでしょうか?
月=カレン
まず1つ目に月は「女性」の象徴として用いられ、月を代名詞で受ける時はshe(her)で受けます。