このことから考えると1つ目に本作における月は娘カレンの象徴なのではないでしょうか。
これを上記の宇宙空間≒死の墓場と併せて考えると、ニールは死んだ娘に会いに行ったともいえます。
そのような卑近な親子の愛を月と地球の壮大な関係に準える形で表現しているのです。
非常に詩的で美しいロマンチックな表現となっていることが窺えます。
矢面に立つ覚悟
2つ目にニールが月を目指すということは人類の歴史を変える役割を矢面に立って成す覚悟の表明でもあります。
上記した数々の実験段階での死者数が出たことで、月を目指すのはたった3人で世間の批判も強まっていました。
しかも娘カレンの死までのしかかっているのですから、これは相当にタフな精神力が要求されることです。
それだけ大きいことを背負える覚悟をニールが持っていたことを表わしているのではないでしょうか。
まして本作はニールの視点に絞って彼に投影させる形で視聴者に疑似体験させているのです。
そんな彼の覚悟と決意の壮絶さがよりこのシーンで伝わる形になっていることが窺えます。
陰極まって陽生ず
そして月面着陸を見事に成し遂げたニールは月面に立って改めて宣言します。
この一歩は人類にとって大きな一歩
引用:ファースト・マン/配給会社:東宝東和
この言葉と共に人類は新たな歴史の光を見て、物語はカタルシスの光を生じるのです。
陰極まって陽生ず、数々の苦難に打ちのめされながらも諦めなかったニールが見た真の光ではないでしょうか。
悲壮な物語としての生みの苦しみと同時に、新たな時代を切り開かんとするマグマの如き熱量。
両者が1つに重なったときにこそ真に価値あるものが生まれることを示しています。
やはり『ラ・ラ・ランド』と表裏一体
こうして見ていくと、本作は結末まで含めて『ラ・ラ・ランド』と表裏一体であることが分かります。
『ラ・ラ・ランド』の結末は一見王道のミュージカルラブコメの物語をなぞりつつ結末は切ないものでした。
そう、明るい光で物語を照らし続けながらも結末でそれを一気に過去の思い出という形で陰にしたのです。
本作はそれとは逆に一見苦しみ・悲しみ・切なさを伴う物語のようでいて最後は光になりました。
これは正に光から陰へ、そして陰から光へという循環を2作通して表現しているのではないでしょうか。
どちらかだけを切り離すことは出来ず、両者が揃って初めてその真価が見えてくるのです。
真の価値は苦しみからしか生まれない
いかがでしたでしょうか?
本作は決して表に出ないアポロ計画の影の部分に焦点を当てた作品でした。
何故このような個の視点から歴史を組み直した作品が生まれるのでしょうか?
それは真の価値が苦しみからしか生まれないと伝えたかったからだといえます。
歴史の革命は常にその裏に数々の犠牲を伴い、誰もが好き好んでやるものではないでしょう。
しかし、誰かがその役割を買わないと新しい歴史を変える価値は生じないのです。
本作の場合たまたまそれがニールとその仲間達だけだったのことだといえます。
そのメッセージを疑似体験という形で伝えてくれる、実に貴重な名作となりました。