これは勿論推奨しているのではなく、物語の流れとしてそうなってしまっただけです。
本作の背景設定に既に人類が宇宙船の人たちを残して全滅したという背景があります。
それでも彼らは自分たちの種を残す生存本能からモンテとウィローが残ったのです。
2人は親子の関係でありながら、まるで結婚する新婚夫婦のように立ち、手を握りました。
即ち2人が自分たちの種を残す為に親子の壁すらも超えてしまうことが容易に予測されます。
2人の何がなんても生きるという意思は最後に親子のタブーすらも突破してしまうのでしょう。
関係を知ってもタブーを犯す理由
モンテは本作で一番禁欲的な男性として描かれており、基本的に性欲などには反対でした。
しかし、そんな男が最後には自身とボイジーの間に出来た娘の望まぬ関係を知らされます。
そんな関係だと知りながら何故モンテは禁欲を破ってタブーを犯すのでしょうか?
タブーがタブーでなくなるから
1つ目に挙げられるのは時の流れと共にタブーはタブーではなくなるのです。
排泄を浄化して生きることも親子の愛を超えた関係も全てタブーではなくなります。
モンテをはじめ宇宙人の囚人達は皆宇宙船の中で正気の判断から遠ざかってしまうのです。
というより、狂っていることがもはや当たり前の世界になってしまいます。
つまり、タブーだと思われていたことを一度やってしまうとタブーではなくなるのです。
ディブスの狂気に飲み込まれた
2つ目にモンテがどんどんディブスの狂気に飲み込まれたからです。
本作で唯一罪状が明らかになっていたのはディブス女医で、彼女は最愛の夫と子を殺しました。
そして自殺しようとしても出来なかった、その罪の意識と後悔が生への執着に走らせたのでしょう。
その生への執着の標的にされてしまったのが不幸にもモンテだったのです。
こうなってはモンテの理性はどんどん崩壊していき、娘との関係を受け入れるしかありません。
それ位感覚が麻痺してしまっており、まんまとディブスの術中にはまってしまった格好です。
2人のファム・ファタール
こうして見ると、実は本作においてファム・ファタール(運命の女)は2人いるのではないでしょうか。
1人が娘のウィローでもう1人がディブス女医とモンテは2人のファム・ファタールに囚われてしまいました。
これではモンテほどに精神力・意志力が強い男であってもその魔の手から逃れる術はありません。
とはいえ、決してやられっぱなしではなく、彼は娘が出来て成長しても手を握るまでは抵抗を続けました。
それ程に屈強な精神の持ち主ですらも狂わせしまうことがかえって宇宙船の環境の凄絶さを物語っています。
人間の倫理観
本作でテーマとなっているのはタブーという言葉に象徴されるように人間の倫理観です。
宇宙船内に女医も含めた囚人が9人で生き延びる為の任務という気が狂う環境に身を置いています。
そんな中でどんどん崩れていく倫理観は果たして何を意味しているのでしょうか?
倫理観とは社会の中で決まるもの
まず1つ目に本作の倫理観とはあくまでも9人の囚人達の間で、しかも宇宙船の中でしか成り立ちません。