彼はボフの妻・リディアから潜水艦近くでの携帯電話の使用を禁止されていました。
厳重注意であったにも関わらずすっかりジョニーは忘れていたのです。
これまでのプロ意識がどうのこうのの話は全てこれで台無しとなりました。
結果的に上手く行ったものの、どこまで行こうとやはりジョニーのドジは変わりません。
しかしそのドジが世界を救ってしまうのですから侮れないものです。
タイミングの悪さ
とはいえ、ジョニーが100%悪かったかというと決してそうではないのです。
彼はこの時ヴォルタの全システム管理委託同意書にイギリス首相がサインした所でした。
即ちこれはヴォルタの世界征服に同意してしまうことを意味する危険な署名です。
もしここで彼が連絡を取ろうとしなければ状況はより悪化していたのではないでしょうか。
このような切羽詰まった一刻を争う状況下で冷静な判断が出来る人は中々いません。
要するにタイミングが余りにも悪かったのであり、故意のミスではないのです。
アナログ潜水艦だった
そして3つ目にその潜水艦は旧型のアナログ潜水艦だったことが挙げられます。
これは完全にリディアに責任があり、彼女も結局はアナログ世代なのです。
ここでもデジタル世代にアナログ世代がどうやって勝つかの勝負をしているのでしょう。
それをコメディ風に描いたのがこのアナログ潜水艦と携帯電話の組み合わせだったのです。
事故だったとはいえ、ジョニー達はデジタル機器をアナログな使い方をして勝ちました。
想定外の形ではあれど、彼らが勝ちを収めたことに変わりはありません。
デジタル・デトックスの大切さ
本作はアナログとデジタルの相克を通して面白いブラックジョークが隠されています。
それは現代社会が余りにもデジタルに依存しすぎているということではないでしょうか。
VRでイギリスの街を混乱に陥れる描写などは若者の歩きスマホのカリカチュアです。
ラストの携帯電話によるミサイル発射にしても、TPOを弁えず携帯をいじる現代人の悪癖でしょう。
ジョニーの頓珍漢なデジタル機器使用を通じてデジタル・デトックスの大切さが示されています。
デジタル機器や最新鋭の設備に頼らなくても人間は人間らしく生きていける筈です。
コメディの裏にそのようなメッセージが散りばめられていることが窺えます。
喜劇こそ知性と技量が要求される
本作のみならずジョニー・イングリッシュシリーズはとても大切な教訓を教えてくれます。
それは喜劇こそ知性と技量が要求されるということではないでしょうか。
特に「007」シリーズのようなお約束の宝庫みたいな作品となれば尚更のことです。
確かに定型化されたヒーロー作品はパターン破りを逆手に取って笑いに変えることが出来ます。
しかし、大事なのはそのパターンの破り方と破った上でどのような笑いを提供するかということです。
この見極めが出来ていないと、粗悪な作品となって受け手を白けさせてしまいます。