そのスペックの高さにウィリアムのクローンは目をつけたものと思われます。
だからこそ戦力として復活させ利用しようという魂胆だったのです。
自分のクローンのみならず敵までクローンにして利用する所が実に徹底されたドライさでしょう。
記憶の抹消
2つ目にクローンであれば記憶をデータ化して都合良く改変することが出来るからです。
ウィリアムはジョーンズの記憶から自分たちを狙っていた記憶を都合良く抜いたのでしょう。
そして自分たちに従順な性格であるように都合良くデータを書き換えたものと思われます。
親友が居なくなった以上研究を進めていくためには仕事仲間・相棒が必要です。
こういう手順で自分に必要な手駒を作り上げていったのではないでしょうか。
天才の気まぐれ
3つ目にこれら全てをまとめるとウィリアムという天才科学者の気まぐれとなります。
他人の気持ちには疎くても相手の適性を見抜いたり本質を見抜くのには長けているのでしょう。
だから決して非情なわけではなく優しい部分だって少なからずあるのです。
敵だったものを味方に簡単に変えてしまうのもウィリアムのウィリアムたる所以でしょうか。
クローンという形であれば罪に問われることもなく、鮮やかにすり抜けて見せました。
ビジネスを仕掛ける側へ
ラストシーンが示す結末はビジネスの観点から大事なメッセージを示しています。
それはビジネスを仕掛ける側へ回れということではないでしょうか。
この2人の恐ろしい所はラストで天才科学者からビジネスの天才になっているところです。
即ち単なる気まぐれな天才科学者から社会貢献を富裕層へのビジネスを通して行っています。
富裕層を豊かにすることで相対的に自分自身もまた豊かになることが出来るのです。
そしてその儲けたお金がウィリアム家に届くようになっているという寸法でしょう。
一見荒唐無稽なご都合主義ながらも実は合理的な選択が成されていることが窺えます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は確かにSF要素を扱った作品としては目新しい要素が少ないかも知れません。
しかし、それは決して本作が単なる使い古されたプロットだからではないのです。
本作はクローン技術の天才科学者がラストでビジネスの天才になるまでを描いています。
その方法や過程が明らかに既存のやり方ではなく、普通の考えでは理解されません。
しかし、世界を変える大発見や発明は寧ろその常軌を逸した所にあるのではないでしょうか。
その方法論を極めて無駄をそぎ落した最低限のエッセンスのみで表現しているのです。
一見シンプルそうなウィリアムの天才ぶりに気付いた時、まるで違った作品に見えるでしょう。