サスケは幼い頃からずっと過酷で凄惨な環境の中で1つ1つ努力をして強さを身につけています。
しかし一方でボルトは科学忍具という卑怯な飛び道具を使って楽をしようとするのです。
弟子入りの条件だった螺旋丸習得や中忍試験までそれで切り抜けようと楽をします。
だから物語として安易にボルトのサスケへの弟子入りを肯定などしていないのです。
寧ろ足下が不安定な状態で空回りするボルトの危うさを描いていたものと推測されます。
何故ボルトは楽をしたのか?
サスケに弟子入りする険しい道のりを選びながら尚ボルトは科学忍具を使うズルをかましました。
額当ても取り上げられ、父ナルトからは失望の眼差しを向けられ失意のどん底に落ちます。
自業自得ではあるのですが、ここではそんな真似をした理由を考察していきましょう。
天才だから
まず1つ目にボルトが落ちこぼれだった父ナルトと違い天才だからではないでしょうか。
続編となる『BORUTO』で掘り下げられてますが、ボルトは何でも要領良くこなす天才です。
いわゆる1を知って10を知るタイプで、教えられたことの本質を簡単に掴んでものにしてしまいます。
殆どの人が0点を取る筈の筆記試験だってカンニングや情報収集なしで満点を取ってしまうのです。
逆にいえば、それが「俺は努力をしなくても出来る」という思い上がりに繋がったのでしょう。
だから時間のかかる螺旋丸習得も中忍試験も科学忍具さえ使えば楽だと考えても無理はありません。
忍者はファッション
2つ目に『BORUTO』の世界観では職業選択の自由が認められており、人生の選択肢も広がっています。
ナルト達親世代とは違ってわざわざ努力して忍者にならなくても生きていける時代なのです。
だからボルト・サラダをはじめ子供世代にとって忍者は「ファッション」でしかありません。
そんな世代に生まれれば「強くなりたい」けれど「楽をしたい」と考えても無理はないでしょう。
幾分ご都合主義的な考えですが、この辺りは決して分かり合えない価値観の断絶があります。
実戦の厳しさの欠落
そして3つ目にボルト達の時代は平和ボケが進んで実戦の厳しさが欠落していました。
2つ目に挙げた忍者がファッション化した原因も突き詰めるとここではないでしょうか。
ナルト達親世代の頃は戦争による緊張状態があり、常に死と隣り合わせでした。
暁の襲撃の時などはナルトが助けに入らなかったら木の葉の里は間違いなく崩壊していたでしょう。
そういう厳しい戦乱の時代に比べればボルト達の世代は余りにも恵まれすぎています。
ボルトはテクニックやセンス・才能は凄くても心構えや覚悟の部分が未熟だったのです。
里を守った父に対する思いの変化
強くなりたいが為に楽をしてしまったボルトですが、終盤でその思いは変化します。
ここでは里を守った父ナルトに対する思いの変化・推移を読み解いていきましょう。
無力さを知る
1つ目に父が浚われ、更に母ヒナタは怪我をし、妹ヒマワリは泣いているのです。
ここでボルトは自身の無力さ、そして思慮の浅さを反省することになりました。
彼の目指す忍の世界が決して甘いものではないことをここでようやく自覚するに至ったのです。