メアリーは作家の才能に恵まれたが故様々な苦境に立たされることになりました。
しかしそれこそが作家としての強烈な動機になったことは間違いありません。
失敗と挫折、喪失の連続に満ちた人生だからこそそれを作品に昇華できたのです。
逆にもし彼女が慎ましい人生を送っていたとしたらかのゴシック小説は生まれなかったでしょう。
産みの苦しみ
『フランケンシュタイン』には二重の意味で「産みの苦しみ」が込められています。
まず1つが母親が子供を産む苦しみ、そしてもう1つが小説を生み出す苦しみです。
前者はまずフランケンシュタイン自体が不細工な化け物という設定で表現されています。
そして後者の方が大事ですが、小説が世に出るまでは物凄く難航しました。
それが上述したメアリー名義で出版できないという苦しみだったのです。
過程も含めて『フランケンシュタイン』は産みの苦しみという言葉が相応しい作品でしょう。
現実と向き合うこと
そして3つ目に現実から目を背けず向き合うことの大切さが込められています。
「フランケンシュタイン」は親に捨てられてしまう子という教訓じみたたとえ話なのです。
メアリーもクレアも大切な人や家族からずっと裏切られ続けたという失敗・挫折を経験しました。
でもその失敗があったからこそ19世紀のイギリスに存在した闇を暴けたのではないでしょうか。
理想に向かうだけではなく、現実と向き合うこともまた時として大切なことなのです。
それが最終的にダメ男だったパーシーを目覚めさせるきっかけとなったのですから。
現代に本作が生まれた意味
こうして見ていくと、本作が何故現代に改めて物語として作られたのかが見えてきます。
それは孤独故の悲しみや苦悩に苛まれる人が増えているからではないでしょうか。
メアリーは天才故に孤独となり苦しみ、しかし最後はその孤独が彼女を救ってくれました。
それは特に精神を病み孤立しがちな現代人に向けての励ましになるのではないでしょうか。
たとえ孤独でも失敗しても、そこから何か生み出されるものだってあるはずなのです。
それは時代や国が変わろうとも本質的に変わるものではないのだと伝えたかったのでしょう。
本当の怪物は人の心
本作は有名ゴシック小説の作家の人生に焦点を当て、様々な教訓を伝えてくれました。
わけても特に大事な教訓は「本当の怪物は人の心」ということではないでしょうか。
フランケンシュタインは古今東西様々な形で「怪物」の象徴として出てきます。
しかし、その怪物を作り出すのは我々人間の想像力・心しかありません。
そしてその人間こそが実は無意識の部分で1番の怪物だということを教えてくれました。
恵まれた人生ではなかったメアリーの物語は解釈1つでまた違った作品に見えてくるでしょう。