下心というものが一切ありません。相手からの何かを期待して何かをするということがないのです。
そこには自己満足すらありません。わかろうとしなくてもわかってしまう信頼関係は誠にうらやましい限りです。
明信は徹信が失恋したときに行く場所を知っていて、そこに行って何をしたらいいのかも理屈以前にわかっています。
徹信も明信の内気さを知り尽くしていて、明信のために水面下の段取りを当然のごとくやるのです。
思いやりを形にすることは想像以上に難しいといえます。
間宮兄弟たちの振る舞いを見て、改めて人の心に寄り添うことの大切さを思い知らされるのではないでしょうか。
母順子の存在
間宮兄弟の母を演じる中島みゆきは非常にいい味を出しており、この母親に育てられたからこそ、この間宮兄弟があるのだと納得されられます。
順子は100%兄弟の生き方を支持しています。「兄弟仲良くね」しか言いません。
弁護士でおそらくエリートだった父親と比較するようなことも一切言わず、「父親のようになって欲しかったか」と順子に水を向ける明信も軽くいなします。
「やればできる子」と過剰なプレッシャーを子供に負わせ続ける世の母親たちに是非見て欲しい場面です。
兄弟・姉妹とは
兄弟・姉妹がいる人はこの映画を見て、「自分たち兄弟・姉妹は果たしてどうなのだろう」と考えることでしょう。
兄弟・姉妹がいる人は理解できるはずですが、兄弟・姉妹というものは以外と厄介な存在です。
お互いの恥部を知り尽くしていますが、成長するにつれて多くはお互いに価値観が違ってきます。
近いようで近づけたくない何かがあるのです。子供の頃は自然に二人で楽しめたことも、当然大人になればできるはずもありません。
子供の感性のまま大人になることは不可能なのです。でも、間宮兄弟はそのような大人たちに「本当にそうですか」と問いかけているように見えます。
過不足なく生きている間宮兄弟
この映画はほのぼのとした兄弟ドラマと見せながら、我々に生きる形を問いかけます。
なぜ、我々も間宮兄弟たちのように生きてはいけないのでしょう。
多くは望まず日々の暮らしの中に小さな楽しみを見いだしていく。
淡い恋心はいつの時も忘れないで、ぶつかるときは打算なく全力で相手にぶつかる。
過不足がない生き方とはまさにこの間宮兄弟たちのような生き方をいうのかも知れません。
映画【間宮兄弟】は今一度自分の生き方や周りを振り返りたくなる作品です。