人間が邪になる時は、精神が病んでしまうものなのかもしれません。
描かれた邪は、自らの死さえも楽しむかのような存在で、狂気に酔いしれることが邪の本質なのかもしれません。
邪な存在は被害者である
久喜家に受け継がれる邪の存在は、余興として生れています。
自分たちの鬱憤を世の中に向けた自己中心的な悪なのです。
久喜捷三が邪として作られ
余興の延長として戦争に送られた、そして狂った
引用:悪と仮面のルール/配給会社:ファントム・フィルム
生れてくる子供たちを利用して、自分たちの鬱憤を晴らすのが久喜家の生き方なのでしょう。
いいかえれば、久喜家に生まれた悲運の運命ともいえるのではないでしょうか。
幹彦の心は壊れていた
劇中に描かれた幹彦は、絵にかいたような邪に映ります。
しかし観方を変えると、誰よりも善の心を持っていたともいえます。
だからこそ、邪な教育を受けて心が耐え切れず壊れてしまったのでしょう。
久喜捷三が彼を途中で投げ出したのも、邪としての資質を持っていなかった為と取ることが出来るのです。
文宏は邪だったのか?
主人公である文宏は邪な存在といえるのでしょうか。
俺は半端な邪になった
引用:悪と仮面のルール/配給会社:ファントム・フィルム
劇中で上記のように語っており、邪になり切れなったのではないかといわれています。
しかし、彼の本質は邪だったのではないかとも考察出来ます。
愛する女性の為とはいえ、殺人を繰り返して来た文宏ですが心は壊されていません。
それどころか、伊藤に生きることを薦めたり前向きに生きることを示唆しています。
誰かが久喜香織の為にやったこと、一人の女性を守りたかっただけ
だとしたら狂ってますね
引用:悪と仮面のルール/配給会社:ファントム・フィルム
劇中の会田とのやり取りですが、自身でもその狂気の存在を認めているのです。
香織を守る為だけに殺人を犯してきた文宏は、自分の愛の為に平然と人を殺しています。
警察に通報すればおさまる話でも、彼は愛という理由で邪魔な人物を排除してしまいました。
意見の分かれる所かもしれませんが、文宏こそ真の邪とも取れるのではないでしょうか。
あなたは上手くやったと思います
上手くいかないのはあなたの恋愛だけ
引用:悪と仮面のルール/配給会社:ファントム・フィルム
榊原の最後のセリフは、文宏の邪を称えた言葉にも聞き取れます。
人間の本質を問われる作品
ウォール・ストリート・ジャーナル紙の2013年ベストミステリーの10作品に選ばれる
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/悪と仮面のルール
原作となった小説は海外でも高く評価され、人間の悪の本質を描いた奥の深い作品といえます。
悪とはなにか善とはなにか、繰り返し観て深く考察したくなる作品ではないでしょうか。
映画の評価は大きく分かれていますが、観る者によって捉え方が違っているというのも興味深い所です。