しかし、そんな疑似家族の繋がりや愛で彼の命は救われません。

病院へ連れて行こうとしても周囲はてんやわんやで誰も相手にしてくれないのです。

そうした世知辛さ、世の無常さに対する悲しさの涙として示されています。

なくならない人種差別

人種差別 (りぶらりあ選書)

2つ目に、決してなくならない人種差別への涙という意味があります。

ウィリアムという人物が死んだことも含め、ミリー達が戦っていたのは「差別」です。

ミリーやオビー達は白人・黒人という壁を超えて人間性で繋がりを持てました。

しかし、内側にはそれで良くても対外的事情となると絶対「差別」が襲いかかります。

そう、彼らは外に出た時に一気に社会的少数派として爪弾きにされるのです。

オビーとミリーが警察に手錠をかけられる場面もそれを示しています。

彼らはきっとその社会的少数派というレッテルから逃れることは出来ません。

失われるかもしれない命

そして3つ目にジェシーが抱きしめた子供たちのこれからを思っての涙です。

今回ウィリアムは共に暮らしている中で簡単にその命が失われました。

しかしそれは決してウィリアムだけではなく、残された子供たちも例外ではありません。

彼らだっていつその命を何によって奪われるか分からない不安を抱えて生きるのです。

それは同時に90年代という不安定な時代の空気を象徴しているようでもあります。

正当性を失う国家権力

アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界

そして何よりも本作を通して改めて示されているのが正当性を失う国家権力でありましょう。

ロサンゼルス暴動の恐ろしい所は白人至上主義を絶対正義として遂行する警察の姿です。

確かに世の中で生きていくのにはルール・マニュアルが必要となります。

しかし、そのマニュアルが果たして誰が何の為に作ったものかは意外と誰も考えません。

その無自覚に作られた国家の正義が決して人を幸せにするものではないことが示されたのです。

ミリー達はその煽りを食らってしまった者の象徴だったのではないでしょうか。

権威性崩壊の予兆

崩壊の予兆〈上)―迫りくる大規模感染の恐怖

いかがでしたでしょうか?

本作はミリー達疑似家族の物語を通して権威性崩壊の予兆を示していたといえます。

90年代初頭は思えば冷戦が終結し経済としてもバブルが収束した時代の節目でした。

巨大な悪がなくなった代わりに巨大な正義もまた崩壊してしまったようです。

1つの主要な価値観を絶対とし、それ以外を認めまいとする勧善懲悪の正義の危険性。

それこそがロサンゼルス暴動を通して見えてきた国家の正義の本質でありました。

思えば9.11はこのロサンゼルス暴動をより先鋭化した形で行ったといえるかもしれません。