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『ディストラクション・ベイビーズ』は、真利子哲也監督が手掛け大きな話題を生んだ作品です。
2016年に公開され、リアルで理不尽な暴力に評価は大きく割れました。
柳楽優弥や菅田将暉という実力派俳優が主役を務め「暴力」に焦点を当てて描かれています。
劇中で裕也はなぜ弱者にのみ暴力を振るったのか、泰良はなぜケンカをやめないのかを徹底考察していきましょう。
彼らの暴力が示唆するものは一体何だったのでしょうか。
ラストシーンに描かれている喧嘩神輿を紐解くことで暴力の意味が観えてくるようです。
裕也が弱者にのみ暴力を振るう理由
劇中では菅田将暉演じる裕也が、女性などの弱者ばかりに暴力を振う姿が描かれています。
裕也の姿は何を現していたのでしょう。
裕也は小心者だった
泰良と組む前の裕也は、小心者で逃げてばかりいる人物です。
正面からは意見をいうことが出来ず、影に隠れて人を非難するような人物なのです。
元々弱者にしか敵意を見せることはないのでしょう。
そして彼の姿は、近年の犯罪事件にも被るものがあるようです。
自分の鬱憤やストレスを弱者に向けて発散する、そんな人物を具現化している姿といえるのではないでしょうか。
自分が弱者であるがゆえに、弱者に手を上げるのです。
現実を生きていないから
裕也は常にゲームの中に生きている人物です。
アホばっかりやけん、確実にやれんぜ
引用:ディストラクション・ベイビーズ/配給会社:東京テアトル
ゲームの世界で強者となった裕也のセリフですが、この時も相手は女性ばかりでした。
現実の世界では、自分の思うように生きることが出来ないのでしょう。
だからこそ、彼の周りは自分で動かすことのできる仮想現実(ゲーム)で出来ているのではないでしょうか。
ごめんなゲームなんや
引用:ディストラクション・ベイビーズ/配給会社:東京テアトル
裕也は現実社会においても、ゲーム感覚でしか生きることが出来ないのです。
だから女性に暴力を振るうことにも罪悪感を感じないのでしょう。
近年、ゲーム感覚で犯罪に手を染める若者たちが増えていますが、彼の姿はまさにその犯罪者なのです。
勘違いをする為
裕也は、自分を獣使いといいながら強くなった気になっていますが、実際は自分が弱いことを認識していたのでしょう。
だからこそ弱者にのみ暴力を振るっていたのです。
弱者への暴力は、自分が強くなったかのような勘違いを持続させる為ではないでしょうか。
自分が負ける相手からは必死に逃げ回っており、作り上げた虚無の強さを壊したくないという気持ちが随所に観られます。
裕也には抑圧されたものがあった
劇中に裕也のバックボーンは描かれていません。