彼の行動から逆に考察していくことになりますが、おそらく彼には抑圧された何かがあったのではないでしょうか。
裕也は弱者だった
裕也の抑えられた感情は自分よりも弱いものへ向けられ、そうすることで自分のストレスを発散させています。
劇中には高校の仲間とつるんでいる姿が描かれていますが、彼らの中で裕也は弱者だったのです。
周囲に認められていない、そんなネガティブな想いを抱えていたのでしょう。
ストレスが暴走した
泰良を盾にしてこれまで溜めてきたストレスを発散し始めた裕也ですが、途中から狂人のような振る舞いをしています。
自分が優位に立っていたはずが、いつの間にか弱者としてけなされていたからでしょう。
裕也の姿はストレスを発散する場がなくなり、自分の中で気持ちだけが暴走してしまったように映ります。
泰良がケンカをする理由
泰良は突然他人に殴る掛かり、まるで獣のような人物です。
セリフがほとんどない泰良なだけに、彼の暴力への捉え方は人それぞれ違ってくるのではないでしょうか。
殴られたいという思いがある
泰良の行動に深い意味はありません。
しかしただ人を殴りたいのなら、裕也のように女性にも手を出していたのではないでしょうか。
彼は一方的な暴力を望んでいる訳ではなく、だからこそ弱者には暴力を振るっていません。
泰良は自分も殴られ相手に挑んでいくことを望んでいます。
ケンカをすることで、自分が強くなっていくのを楽しんでいるかのように描かれています。
そして裕也に手を出さなかったのは、彼が弱者であることを示しているかのようです。
楽しいから
泰良は暴力を一種の娯楽だと考えているかのようであり、殴り殴られることで欲を満たしているのではないでしょうか。
暴力を振るうことだけでなく、やられることにも喜びを感じているのです。
劇中では勝ち負けを楽しむ姿はあり、だからこそ泰良は勝つまでしつこく相手を追いかけるのでしょう。
楽しければ、ええけん
引用:ディストラクション・ベイビーズ/配給会社:東京テアトル
暴力を振るうことに深い意味はなく、彼にとっては映画を観たり食事をしたりそんな日常と同じことなのかもしれません。
止められない衝動
この映画は実話ではないか、という意見も出ています。
それは監督がバーのマスターの話を聞き映画を作ったからなのですが、マスターはケンカを「生業のようだった」といったそうです。
衝動を抑えられない10代が、自分を制御することが出来なくなってしまったとも考察できます。
また現実社会にも、泰良のように通りすがりに言葉の暴力を振るう人が増えているといわれています。
泰良も溜め込んだ負の力を、他人に向けて発散することしか出来ない人物なのかもしれません。
泰良の暴力は狂気の具現化
本作に置いて泰良はほとんどセリフがなく、何かを具現化したものではないかとも考察出来ます。
人は暴力に嫌悪感を抱きますが、この映画は不思議と観る者を引き込む力があるのです。
人間の持つ狂気
人は皆怒りを抑制して生きていますが、それでもなお世間では暴力沙汰が減ることはありません。