泰良は人の持つ暴力性のみで生きているような人物です。
人は心の奥底に暴力性を持っていて、何かのきっかけでタガが外れることがある…。
裕也も那奈も突然、暴力を振るっています。
泰良はタガが外れた暴力性を具現化したものと捉えることも出来そうです。
「暴力」とはなにか
泰良のケンカは暴力の姿を正面から捉えたものといえます。
裕也の暴力は弱者の暴力、那奈の暴力は復讐の暴力であり劇中で彼女の暴力は罪に問われませんでした。
暴力は不必要なものであり、時には必要悪として存在するものなのかもしれません。
ラストシーンで泰良が撃たれずに姿を消したのは、世の中から暴力は消えないということを示唆しているかのようです。
暴力は悪であり消えて欲しいものですが、全ての人間が衝動に勝てる強さを持っていないのも事実なのです。
また監督の描いた暴力は、個々の力でありエネルギーの放出のようにも感じます。
この映画には、善悪を省いた暴力の持つ力が映し出されているようです。
喧嘩神輿に表現されるもの
本作品は喧嘩神輿と並行してストーリーが流れていきます。
ラストシーンに映し出される喧嘩神輿は、荒々しくけが人が出る祭りです。
神輿を激しくぶつける姿はまるで喧嘩をしているようですが「活気」の為に行っているともいわれています。
いいかえれば生きる力として喧嘩神輿をおこない、そして人々はこの荒い祭りを気分の高揚と共に楽しんでいるのです。
勿論この祭りが泰良の暴力と同じというわけではありません。
しかし荒い祭りを「楽しむ」という根底に流れるものは似通っているのかもしれません。
常識を捨ててみるべき映画
『ディストラクション・ベイビーズ』は賛否が大きく分かれる作品となりました。
劇中に描かれる暴力シーンが不快に感じる人も多くいるようです。
確かに暴力は悪であり、許される事ではないでしょう。
だからこそ、暴力に対して目を背けるべきではないのかもしれません。
本作は人間に潜む暴力的部分を、包み隠さずさらけ出した映画なのでしょう。