軍隊を率いるということは、事前にそれらしい話が北部の州から持ち掛けられていてもおかしくありません。
その中で、ギデオンに反撃するチャンスは今後もあることを確信するのです。
だからこそ、その場で殺してしまうのではなく、十分苦しませようと考えました。
キリスト教徒として
ギデオンを追い詰めたとき、ハリエットは神の存在を語ります。つまりハリエットは、キリスト教徒ということです。
ハリエットがギデオンを殺さなかったのは、自身がキリスト教徒であることが関わっています。
クウェーカー教徒に助けられた
ハリエット自身が逃亡する際に助けてくれ地下鉄道の運営組織は、クウェーカー教徒です。
このクウェーカーは、イギリスを発端とするキリスト教プロテスタント派の人々でした。
となると、当然ハリエットもキリストに入信していると考えられます。キリストでは、隣人愛が説かれており、殺しは容認されません。
だからこそ、ハリエットはギデオンを殺すことはなく、すべて自然の成り行きに任せようとするのです。
また、いずれ南北戦争によって、ギデオンの農場が巻き込まれることは分かっています。だからこそ、成り行きに任せるのでした。
裁くのはハリエットではない
ハリエットがギデオンを殺さなかったとき、ギデオンに対してハリエットは裁くのは自分ではないことを語ります。
奴隷制は神が許さない
引用:ハリエット/配給会社:フォーカス・フィーチャーズ
つまり、ギデオンを裁くのは神なのです。だからこそ、自分で手を下さすことはしませんでした。
キリスト教徒であるハリエットは、奴隷制は絶対に神によって裁かれる、という自信があります。
その絶対的な自信があるため、ギデオンを殺すことはせず、成り行きに任せるのでした。
自由への覚悟
ハリエット自身が逃亡を図るとき、ギデオンに追い込まれため、川に飛び込みました。
これは、自由になることへの覚悟の現れです。奴隷として一生過ごすか、ここで川に飛び込むかをハリエットは躊躇しません。
またその後の道のりの過酷さを考えても、川に飛び込むことなどハリエットにとっては大きな問題ではないのです。
黒人たちが奴隷から解放されることへの希望の大きさは、自分の人生や命をかけるに値するもの。
それを示唆したシーンが、ハリエットの川への入水シーンに表現されているのです。
黒人奴隷や差別に向けたメッセージ
今なお黒人に対する偏見や差別は存在しています。それらに対する抵抗のメッセージが、『ハリエット』には込められているでしょう。
ハリエット・タブマンという、黒人奴隷だった人物を取り上げることで、現代社会では新たな支援者が出ます。
ハリエットが川に飛び込んだり、多くの人々を開放したりするのには、大きな希望や抵抗する意思が背景にありました。
実際に地下鉄道の車掌も務めていたことからも、ハリエットに関する資料を研究すると、より考察ポイントが出てくるかもしれません。