映画『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』は2019年公開のロマンス作品で、日本では2020年に公開されました。
ジョナサン・レヴィン監督の指揮の下、シャーリーズ・セロンとセス・ローゲンの2人を主演に据えています。
キャストを見ていくと、アンディ・サーキスやボブ・オデンカークなど数々の著名人が抜擢されているのも特徴的です。
ジャーナリストのフレッド・フラスキーと国務長官のシャーロット・フィールドの恋物語は最後まで目が離せません。
125分がとても短く感じられる程充実した内容となっており、批評家からの評価も高く好意的に受け止められています。
本稿ではラストでフレッドがシャーロットの姓を使った意味を考察していきましょう。
また、演説でシャーロットがフレッドに愛を告白した心情も併せて読み解いていきます。
逆シンデレラストーリー
本作の特徴を述べるならば、それは「逆シンデレラストーリー」ではないでしょうか。
原題の「Long Shot」は「勝つ見込みの低い候補者」であり、表面上はフレッドを指しているようにも見えます。
しかし、実際はシャーロットも含まれており、2人はそれぞれに勝率の低い戦いに挑んでいるのです。
フレッドがシャーロットという高嶺の花、そしてシャーロットが世間一般から見られる偏見でしょう。
コミカルに表現されているものの、内容は「働き方改革」への鋭い風刺・皮肉を込めたものです。
そのような強い毒と批評性を持つ本作の構造を本題に従って読み解き、その本質に迫っていきます。
フレッドがシャーロットの姓を使った意味
フレッドはラストでシャーロットの姓である「フィールド」を名乗ります。
本作を象徴する劇的なシーンですが、果たしてそこに込められた意味は何でしょうか?
義理と筋
まず考えられるのがフレッドがシャーロットに対してきちんと義理と筋を通したということです。
フレッドは「シャーロットの男」であることを公言し、決してやましい関係ではないと宣言しました。
表面上冴えない男のように描かれているフレッドですが、ここ1番では誰よりも頼りになってくれます。
また、自分が大切にしている人たちとの関係を誰よりも大切にし、決して世間一般に忖度をしません。
その冴えない見た目からは信じられない程中身は芯が強い男の中の男なのです。
シャーロットを立てる
2つ目に、フレッドはフィールドを名乗ることでシャーロットの立場を上手に立てたのです。
世間一般に忖度せず時にはシャーロットを突き放しますが、シャーロットの自尊心は決して傷つけません。
もしシャーロットの姓をフラスキーにすれば、自分が上だと公言し彼女を下げることになるでしょう。
そのような大統領としてのパブリックイメージを崩さず、しっかり立てるべき所を立てたのです。
男の強さは決してどちらが上かではなく、どれだけ優しくできるかというところにあります。
真の平等は存在しない
そして3つ目に、真の平等など決して実現しないものであるという皮肉がここに込められています。
表面上男女平等社会の実現を描いたようでいて、結局はシャーロットの方が力関係は上です。