好き嫌いのはっきりしているアビゲイルに「気に入っている」と言わせることで、この章で「お気に入り」の意味を考えさせる最終段階に入ったことを表しています。
第8章I dreamt I stabbed you in the eye
サラが手紙を推敲する中で出てきた表現ですが、これは「きちんとものを見て=正気に戻れ」という意味と、もうひとつの意味があると考えられます。
それは序盤の章での「片目の恐ろしい男の夢を見た」というアン女王のセリフを踏襲です。
「あなたも同じ醜い姿にしてやりたいほど憎い」という、まさに「可愛さ余って憎さ百倍」というほどの愛情の深さを表した言葉なのです。
サラは真にアン女王を愛しているのは自分だと伝えたかったのでしょう。
ただアン女王にはもはや耳触りの良い言葉しか届かなくなっているので、作中では愛情深い言葉に満ちた手紙を送っています。
「女王陛下のお気に入り」は誤訳?
原題の「The FAVORITE」では、誰のお気に入りかはわかりません。
しかしストーリーを追うと、サラやアビゲイルのお気に入りや気に食わないものを章題としていることがわかります。
またその好き嫌いが、その章に出てくるすべての人物に影響しているのです。
「お気に入りは何?」といった方が日本語タイトルとして適している可能性もあります。
ウサギは誰?
17人の子どもたちの代わりとして飼われているウサギたちを、女王は心底気にかけています。
しかし、ウサギたちは本当に17人の子どもたちの代わりだったのでしょうか。
ウサギを唯一認めたのは…
アン女王がはじめに唯一心を許していた存在のサラでさえ、ウサギに挨拶することは「不気味」だと拒否しました。
ウサギを「かわいい」と褒めて誕生日を祝い、女王と一緒に遊んであげたのはアビゲイルただ1人です。
「誰からも愛されない」上に「子どもたちまで不気味」と言われてきたアン女王としては、「ウサギは子どもだと認められ、ウサギをかわいがる自分をも認められた」と感じたことでしょう。
ラストシーンは3重に
意味深な沈黙で描かれるラストシーンは、奉仕するアビゲイルから無表情のアン女王、そして画面いっぱいのウサギたちが重なる透かしの入った場面です。
これまでのストーリーから読み解けば、この意味深な終わり方にも納得できます。
女王陛下の気づいたものは?
ラストシーンの直前、アン女王はウサギを踏んでいるアビゲイルを目撃し、悲鳴を上げて逃げようとします。
そこへアビゲイルはさも女王を心配しているフリをして駆け寄ってきます。
引用:女王陛下のお気に入り/配給: 20世紀フォックス
このシーンで、アン女王は多くのことを一瞬で悟ります。
- アビゲイルが実は自分が子どもたちだと愛するウサギたちをかわいがっていないこと
- 逆に虐待していること
- ウサギをかわいがる自分を認めてなどいないこと
- むしろ自分を脅かす存在であること
- アビゲイルの愛は表面だけであること
- 嘘をつかないサラの愛が真実の友愛であったこと
- 裏切ったこと
- もうサラからの愛は望めないこと
そして怯えたのです。
そして自分の立場をしっかりとアビゲイルに認識させるため、最後に「足を揉め」と命令します。
ここにあるのは主従関係で、友情ではありません。
女王陛下の望みは?
アン女王は自らを愛して肯定してくれる人物を求めていました。
しかしサラは愛しても肯定はせず、アビゲイルは愛して肯定しているように見えてすべてが嘘でした。
サラの正直な愛は限界のある愛で、女王のすべてを肯定することは友としてできかねたのです。
そしてアビゲイルの全肯定は、友でなく愛していないからこそできたのです。
最後のアビゲイルの姿はサラのように女王を支配する存在にはなれず、体で上流まで上り詰めた者として当然の奉仕を要求されたことへの諦め。
女王の険しい顔は友愛を捨ててしまった自分への怒りと愚かさへの悲しみ、そして誰も自分を肯定してくれないという深い絶望。
ウサギたちは育たなかった子どもたちへの絶望の象徴の上に、誰も女王の自己肯定感を満たしてくれなかった証として重ねられます。
女王陛下のお気に入りはないのです。
誰かの好き嫌いで動いてきたストーリーの最後にこのことが明かされます。
そのための意味深な終わり方なのです。
終わりに
とてつもない奥深さをもって流れていくストーリーを1度観るだけで理解するには難しいでしょう。
しかし史実に基づいた人物たちが豪華にかつ滑稽に描かれていること以外にも評価される理由はあります。
もう1度ご覧になられてみてはいかがでしょうか。