特に、死ぬのは怖くないのですか?と聞かれた時に病室で発した父の言葉には、息子への強い愛情が含まれていました。
あの世に逝くのがか?いや、楽しみで仕方がないよ。
あそこからなら好きなだけあいつを眺めていられる。肉体なんて邪魔なだけだ。
引用:祈りの幕が下りる時/配給会社:東宝
本当に不器用な父だったことが、痛いほど伝わってくるセリフでした。
どんなに嫌われようと避けられようと、ただただ見守る事が出来ればそれでいい。博美の父と同じような考えです。
親というのは子の為なら姿も存在も消せる、子の存在は何者にも代え難いのです。
また、母は子育ても親戚付きあいも上手くいかず挙句自分の息子を殺してしまいそうになり泣く泣く家を出て行ったのであり、すべては恭一郎への愛情から決断出来た事でした。
本当は自分の手で育てたかったに違いありません。そこには苦渋の決断があったのです。
ずっと気になっていた母の行方・家を出た理由・父の本当の想い、それらを全て知るキッカケとなったこの事件が解決した時、加賀恭一郎にとっての祈りの幕が下りたのです。
両親は決して自分に愛情が無いわけではなかった事や、むしろ自分の事をいつも一番に考えてくれていた真実を知り、心置きなく日本橋署を離れる事が出来るでしょう。
タイトル「祈りの幕が下りる時」の意味
タイトルである「祈りの幕が下りる時」の意味について探っていきます。
博美の舞台が無事に終わってほしい忠雄の想い
密会するのに選んでいた橋は12個すべてが、明治座の近くでした。
それだけ、明治座での公演は忠雄や博美にとって喜ばしい事だったのです。
やっとの思いでなった舞台演出家、そして自分の身元がバレるリスクも覚悟で見に行く程娘の作品を楽しみにしていました。
「異聞・曾根崎心中」が無事に終える事を祈っていた、そんな忠雄サイドの言葉にも取れます。
26年に渡る逃避生活を終えた父娘の想い
26年前から別人として隠れて生きてきた忠雄と、まるで曾根崎心中のような人生を送ってきた博美。
この悲劇が終わる事を示唆しといるとも言えます。
現に博美が加賀に全てを話し終えると同時に、舞台が終演し幕が下りていました。
単純に舞台を無事に終えたい祈りと、長く辛い26年間の隠蔽生活にようやく幕を下ろせるという2つの祈りがあったのです。
おわりに
新参者シリーズ完結編「祈りの幕が下りる時」は、何よりも「親子愛」がテーマの映画でした。
事件の関係者を調べ尽くし捜査が難航した時、加賀が「まだ調べていないのは、俺自身だ」と自分を事件の相関図に組み込んで事件の真相へと辿り着くシーン。
あれは他のミステリー映画では見られない展開だと思います。
決してハッピーエンドとは言い難い結末にも関わらず、安堵を感じさせる作品だったのではないでしょうか?
新参者シリーズは、今作を入れて5作あります。
1作目から見ると、更にこの映画が面白くなる事間違いありませんので、是非観てみてください!