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マリア・カラスらと共に20世紀を代表するディーバ・歌姫として知られるフランス人歌手・エディット・ピアフ。
本作『エディット・ピアフ~愛の賛歌~』はその生涯を描いた2007年公開のフランス映画です。
生誕100年を過ぎた今も変わらぬピアフの人気は、ジェットコースターのように浮き沈みの激しい人生によってもたらされたものだともいえます。
この映画ではその壮絶な生き様があますところなく描かれています。
小さなスズメという芸名から始まった小柄な歌手・ピアフにとって愛と音楽はどういうものだったのか掘り下げてゆきます。
「アカデミー賞」「ゴールデングローブ賞」「セザール賞」と奇跡の主演女優賞・三冠を果たしたマリオン・コティヤールの演技についても解説します。
ピアフの人生を決定づけた幼少期
映画は主に幼少・青春・円熟・晩年の4つの時代のピアフを交錯させる構成を取っており、時系列には展開しません。
そのため「分かりづらかった」という鑑賞者もいることでしょう。
ここではピアフの人生において最大のポイントともいえる幼少期から順を追ってその生涯をひも解いてゆきます。
売春婦という反面教師
1915年、エディット・ピアフはパリの貧困地区に生まれました。母は歌手で父は大道芸人。
共に生活力がなかったため父方の祖母が営む売春宿に引き取られることになります。
これはピアフの人生を決定づけた最大の出来事だといえます。
売春婦たちに囲まれた生育環境は、悲劇と栄光に彩られた彼女の人生の土台になっています。
映画の中、幼いピアフは売春宿で悲惨な目にあう女たちを目の当たりにしてゆきます。
青春期、貧困にあえぎながらも彼女が売春にだけは深入りしなかったのも、この幼少体験からくることではないでしょうか。
ピアフはその幼い目に売春婦の末路を焼きつけていたのかもしれません。
もし売春宿に預けられていなければ、彼女はシンガーになるため必死に努力しなかったかもしれません。
一方で劣悪な幼児環境が、彼女の生涯に悪影響を及ぼしたという見方もできます。彼女は麻薬中毒に陥り若くして死ぬのです。
ピアフの才能を育んだのは売春婦の元シンガー!?
幼少期の中で最も興味深いのが、元シンガーの売春婦がピアフに歌を歌うシーンです。
売春婦の中には落ちぶれた歌手がいて、彼女が幼少のピアフに歌を聴かせてあげるのです。
これは貧困の中でも若くして才能を開花させたピアフの謎を解き明かすヒントにもなります。
映画では何気なく描かれていましたが、実際にはちゃんとしたレッスンを受けていたのかもしれません。
ここにアクセントをつけていれば、天才ピアフをよりリアルに位置づけられていたはずです。
天才とはいつの時代も突然パッと流れ星のように現れるものではありません。その元にはいつも何かしらの有意義な経験値があるのです。
ピアフの人生最大の危機を救った聖テレーズ
幼いピアフは売春婦たちのアイドル的存在になり、大勢から愛されます。それによって彼女は人生最大の危機を脱します。
ピアフは3才から7才までの4年もの間、栄養失調から角膜炎にかかって失明していました。
映画ではそれに大勢の売春婦たちが心を痛め、大いに労わったり医者に診察してもらったりするシーンがあります。
もし両親が貧困にあえぎながら育てていれば、ピアフは一生盲目だったのかもしれません。
聖テレーズへの祈りがポイントになります。売春婦たちは日々小さなピアフを連れて教会に行き、目が治るように祈り続けていたのです。
そのかいあってピアフの視力は回復しますが、そこで彼女の生涯に渡る厚い信仰心が生まれたといえるでしょう
。ピアフにとって愛とは、何よりもまず神への愛だったはずです。
揺れに揺れた青春期
青春期、ピアフはストリート・シンガーとして街角に立ち死に歌い続けていました。そこで大きな不運と幸運が立て続けに降りかかるのです。