ニナはそれによって性的な成長を妨げられ、正常な性欲まで抑制されてしまうようになったのです。
また自身の誕生によって母のバレリーナ生命を奪ってしまったことに罪悪感を覚えるようになります。
無意識のうちにニナは性行為に罪悪感や嫌悪感を持つようになったのだとも考えられます。
ニナは何故狂気を宿すようになったのか
この作品ではニナの狂気が視覚化され、それがこの上ない恐怖を掻き立てます。なぜニナはそれほどの狂気を宿すようになったのでしょうか。
バレエという芸術の厳しさ
バレリーナとして生きていくためには肉体的にはもちろん、精神的にも追い詰められるといえるでしょう。
バレエがほかのスポーツと異なる点は、それがスポーツというよりも芸術として認識されている点です。
フィギュアスケートや新体操など、芸術性が問われるスポーツは他にも存在します。
ですがバレエは採点されるスポーツではなく、観客の反応によってのみその評価はなされます。
そしてバレエというものを習得するにはかなりの肉体的な制限を強いられることになります。
筋力はもちろんのこと、バレリーナに求められるすらりとした体形維持には相当の努力が求められることは想像に難くありません。
生まれながらの骨格などもバレリーナとして成功するかどうかを左右するといいます。
それほどにストイックに肉体的な鍛錬を積むことができる一握りのバレリーナだけがバレリーナとして存在することが許される。
さらに精神性の表現を極限まで突き詰めることで世界に通用する一流のバレリーナとなるのです。
そのためバレリーナには強靭な精神力が必要とされるといえるでしょう。
ですがニナは前述したとおり母に守られ甘やかされ、バレエ以外のことに関して免疫がありません。
バレリーナとしてのプレッシャーなどに対する精神力はあります。
一方でそれ以外の部分、自分の精神的、性的な未熟さを指摘されニナが持っている以上のものを厳しく求められたとき、その精神性はバランスを失ったのでしょう。
黒鳥に求められる性的な魅力、妖艶さを理解できないニナは窮地に立たされることになります。
プリマの地位に固執するプライドや欲望、そしてトマの要望通りの踊りができないジレンマ。それらがニナを追い詰めていったのです。
自分にないものを持ったライバルの存在
そして自分とは正反対の踊りをする、まるで黒鳥そのもののようなリリーの存在が彼女を脅かします。
リリーはもともとの劇団員ではなくサンフランシスコからやってきたニューフェイス。
ニナにとって未知の存在である黒鳥の化身のようなリリーは、そのままニナにとって未知の世界である「官能的な魅力=性的な経験」を体現しているのです。
ニナにとって自分に足りないものをそのまま具現化したようなリリーが自分が踊るはずの黒鳥の踊りを待っているのを目にしたニナ。
これまでの生涯の中でおそらくは最も激しい嫉妬、そして役を奪われる凄まじいまでの恐れを感じたことでしょう。
しかし、その一方で抗いがたい魅力を感じたのもまた事実なのです。
それらはそのまま、ニナの性に対する感情ともいえるのではないでしょうか。
解放できない性への欲望
母親によって「性は邪悪なもの、ニナの人生を台無しにするもの」と洗脳に近い教育を受けていたニナは自分の中の性欲を受け入れられません。
しかし性欲は人間の本能でもあるものですから、本来は誰かによって抑えられるものではないでしょう。
不自然に抑制され歪んでしまったニナの性はやはり歪んだ形で解放されることになるのです。薬の力を借りて。
トマによって黒鳥を踊るために命じられた条件。
それはニナにとっては罪にも匹敵することでした。
しかしプリマの座を不動のものにするためには黒鳥の化身のようであったリリーの踊りを超えなければなりません。
そのために何らかの性的な経験をせざるを得なくなったニナは植え付けられた性への罪悪感、そして抑えきれない性欲の間で葛藤します。
リリーの登場によって追い詰められ、それでもプリマの座は譲ることができないプライド。
そしてトマの求める官能的な黒鳥がどうしても踊れないジレンマや焦り、そして母親の期待。