その中で唯一生き残ったのは多田刑事に「新人」と呼ばれる百々瀬だけでした。
なぜ百々瀬だけが生き残ったのでしょう。
百々瀬は新人と呼ばれ続けた
百々瀬は巡査部長という立場なのに、多田刑事に新人と呼ばれ続けました。
それゆえ他人を見下すこともせず、常に「新人」として周囲の人間に敬意を払って接し続けたのです。
それが鍵でした。
他人を見下し、自分の見たものだけで軽率に判断する人物が今回悲劇に遭った人物たちです。
短期で多田刑事の相方となった若松が死んだのは悲劇を演出するのための「本当の悲劇」でした。
しかし百々瀬が生き残ったのは「新人と呼ばれ続けても、多田刑事への恨みではなく敬意をもち続けたから」に他なりません。
多田刑事が不能犯を殺さなかった理由
唯一宇相吹のマインドコントロールが効かない人間であり、彼を殺して止められる人間であった多田刑事。
しかし彼女は、彼を殺すことを選びませんでした。
その理由はこれまでの悲劇の原因を見れば明らかです。
愚か者にならなかった多田刑事
第4の事件で理沙に迫られ、多田刑事は1度宇相吹を殺そうとしました。
そこで若松は「殺しちゃだめだ」と言い残し息を引き取ります。
そして最後にすれ違ったときには「わたしは希望であんたを殺す」と対峙して意思表示します。
出典:不能犯/配給:ショウゲート
宇相吹が人間に絶望して人を殺し続けるように、多田刑事は人間に希望をもち続け人を救い続ける道を選びました。
似た思考をもつ者として正反対の道を選んだのです。
それは「今だけを見て、途中で殺すことは宇相吹の言うことをきくことであり、愚か者のすることだ」と多田刑事が気づいたからでした。
彼女は愚か者にはならなかったのです。
だから最後に宇相吹の放った「愚かだな、人間は」という言葉は、少し笑顔で発せられます。
この台詞は「愚か者たちを信じる愚か者もいるのか」という驚きも含んでいました。
ラストシーンの示すもの
「死んでほしい」「殺したい」という声と、相変わらず電話ボックスに届く殺人依頼を宇相吹が受け取るシーンで映画は終わります。
出典:不能犯/配給:ショウゲート
これは宇相吹がこれからも殺し続けるということを表すためではなく、まだ愚か者がたくさんいるということを強く印象付けるためでしょう。
これだけの悲劇の詰まった映画をつくっておきながら、監督や脚本家の訴えたかったことは1つです。
殺しや自殺の多い現代へ向けて「人殺しはやめよう」「自殺する必要はない」「嫉妬なんてやめよう」「恨みなんていらない」という意見。