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映画『ロッキー』は劇場公開から40年以上がたちながら近年まで続編が作られ続けてきました。
そこに表れているよう、ロッキー人気は今も世界中で衰えることはありません。
この世紀を超えたロッキー熱の原点にあるのが、もちろん1976年制作・シリーズ第一作目に当たる『ロッキー』です。
第49回アカデミー賞では作品賞を始めとした3部門を受賞しました。
ところでロッキーファンの巡礼地として有名なのがフィラデルフィア美術館にある階段–いわゆるロッキー・ステップです。
そして私自身もそこをロッキーのように駆け上がった無数のファンの1人です。
そのため個人的な思いがにじみ出るかもしれませんが、映画の魅力を最大限にお伝えしますのでそうぞ最後までおつきあいください。
驚きの撮影秘話
『ロッキー』には映画ファンにも信じられないような撮影秘話が数多くあります。最も有名なエピソードについて解説してゆきます。
低予算映画になった理由
今でこそロッキーといえばシルヴェスター・スタローンですが、当初は主演候補にさえ入っていませんでした。
制作当時、彼はまったくの無名俳優だったのです。
スタローンは伝説のボクサー・モハメド・アリの試合を見て、わずか3日で『ロッキー』の脚本を書き上げます。
制作会社はそれを採用しましたが、ハリウッド・スターを主演にするという条件をつけました。
しかしスタローンが主演を譲らなかったため、ヒットが見込めないと判断した制作会社は予算を大幅に減らしました。
これが低予算になった理由です。
身も心もロッキーになっていたスタローン
この点でよくいわれるのが映画スターになりたかったからだということです。実際、映画の大ヒットで彼は大スターになりました。
しかし、そもそもスタローンが主演すればヒットの可能性が低くなる状況でした。映画がこければ映画スターになる夢も消えます。
つまり彼がロッキーに主演することは、むしろスター街道への道を阻むものだったといえるでしょう。
お金のためでもありません。スタローンが書いた脚本はハリウッドで高評価を受け、最終的に脚本料は36万ドルまで高騰したといわれています。
しかし彼が主演に固執したせいで大幅に脚本料を減額され、34万ドル(約3,400万円)もの損をしました。
スタローンがお金に貪欲であれば脚本料だけもらい、大スター主演の『ロッキー』でさらに大儲けしたことでしょう。
では、一体なぜスタローンはロッキーへの主演にこだわったのでしょうか。
それはほぼ間違いなく脚本を書いた彼自身がロッキーに心を奪われていたからでしょう。
他の俳優がロッキーを演じることに耐えられなかったのでしょう。スタローンは脚本を書いたとき、すでに身も心もロッキーだったのです。
低予算が呼び込んだ嬉しいハプニング
低予算になったため、安値で小型軽量のステディカムが撮影用カメラとして多用されました。
ちなみに『ロッキー』はステディカムで初めて撮影された映画だといわれていますが、それは誤解です。
実際は『マラソンマン』などに次いで3番目だということです。またキューブリック監督が『シャイニング』で使用したことでも話題になりました。
『ロッキー』は小型のステディカムで少人数クルーによる撮影だったため、あの有名なランニング・シーンで嬉しいハプニングがありました。
ロッキーが市場を走っていると、露天商のオヤジが彼にオレンジを放り投げるシーンがあります。
多くの人は粋な演出だと思ったでしょうが、実は本当に起こったことだったのです。
撮影がコンパクトだったため、露天商のオヤジはTVニュースのロケ取材だとでも思ったのでしょう。
ロッキーが本物のボクサーだと勘違いし、純粋な気持ちでオレンジをあげたのです。
その機転によって、今もご当地・フィラデルフィアにあるイタリアン・マーケットはロッキー巡礼地の人気スポットになっています。
私もそこで走った1人ですが、あのオヤジの顔がたびたび思い出されました。いい映画には、こういうハプニングがつきものなのです。
スコア・映画音楽の力
ロッキーといえば「ロッキーのテーマ」を自然と思い出される人も多いでしょう。