一貫してモーツァルトに敗北感をいだき、無力感に苛まれていました。
しかし、サリエリは決して凡人などではないのです。
サリエリは宮廷楽長の座に就任し、その音楽は高く評価されていました。
金銭的にも成功し、裕福な暮らしを送っています。人間性も優れていて、信仰心も篤い人物です。
そんな人物を劣等感のどん底に突き落とすモーツァルト。彼の才能がどれだけ傑出していたかがわかります。
作曲シーンで浮かび上がるもの
モーツァルトの比類ない能力を象徴するのが、共同作業シーンでサリエリが混乱してパニックに陥ったところです。
サリエリは優秀な作曲家ですから、いわば作曲のプロです。
そのサリエリがついていけなくなるほどの速さということは、猛烈な速さだということがわかります。
モーツァルトの頭の中では、曲がすでに完成しています。
手探りで音を探すこともなく、迷うこともなく、モーツァルトにとっては頭の中で流れている音楽を紙に書き写すだけなのです。
モーツァルトの頭の中から溢れ出した音楽の奔流はサリエリを押し流しました。
彼はその圧倒的な能力差に混乱して置き去りにされることしかできませんでした。
サリエリが音の川に置き去りにされてしまったシーン。
これはサリエリの凡才さを浮かび上がらせるのではなく、モーツァルトの非凡さをくっきりと浮かび上がらせます。
モーツァルトの死
瀕死のモーツァルトは、地獄の炎に永遠に焼かれるというのは本当だと思うかとサリエリに尋ねました。
サリエリはそれは本当だと答えました。このセリフはサリエリの覚悟を示しています。
地獄に落とされ、永遠の業火に焼かれる覚悟です。
死に際のモーツァルトの至高の才能を目の当たりにして、彼が罪悪感を抱かないわけがありません。
モーツァルトを死に追いやり、神の恵みである天賦の才を人類から奪った罪を、永遠に背負いその裁きと報いを受けるとサリエリは言っているのです。
サリエリに与えた影響
天才モーツァルトは若くして死にました。享年35歳という年齢は当時としても若すぎるものでした。反対に、サリエリは長生きします。
映画でのサリエリは自殺未遂をして精神病院にいれられています。
映画冒頭の、闇を切り裂く「モーツァルト!」「モーツァルトを殺した」「許してくれ」という叫びは、地獄の苦しみに悶える者の声でした。
サリエリは何十年もの長い年月を、苦悩のなかで過ごしたのでしょう。モーツァルトは死後もその影響をサリエリに及ぼしていたのでした。
サリエリの復讐
サリエリは十字架を火に投げ込み、神に復讐を誓いました。彼の復讐は果たされたのでしょうか?
もちろん、サリエリは復讐を果たせませんでした。それどころか、サリエリにとって一番むごい報いを受けたといえるでしょう。
そのむごい仕打ちは、わたしたちがよく知っています。
あなたは、サリエリが作曲した曲のメロディーを思い浮かべられますか? サリエリ作曲のオペラの題名をいくつかあげられますか?
おそらく大多数の人の答えは「NO」だと思います。
一部の専門家と音楽家をのぞいて、サリエリの存在を後世はまったく気にも留めませんでした。
反対に、どんなに音楽に疎い人でも、モーツァルトの曲はかならず耳にしたことがあるでしょう。
クラシック音楽を好んで聴く人なら、モーツァルト作曲のオペラを尋ねられたら「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」が思い浮かぶと思います。
この結果のちがいが、モーツァルトとサリエリの人生でした。
サリエリが音楽家として一番望んでいたことが叶うことはなかったのです。彼は忘れ去られてしまいました。
時の流れに淘汰されたサリエリが今一度掘り起こされ、新たな解釈を与えられた映画『アマデウス』。
この映画は、わたしたちに深い感興をもたらします。映画の素晴らしさを再確認させる傑作でした。