父親ピーターの愛は、息子デイヴィッドとすれ違っていたのでしょう。
父を許さなかった息子の思い
父親の歪んだ愛はデイヴィッドにどんな影響を与えたのでしょう。
助けて欲しい時に見捨てられた
子供はどんな仕打ちを受けても、本能で親の愛にしがみつこうとするものです。
デイヴィッドも留学後、何度も家族へ連絡を取ろうとします。
ラフマニロフを弾いたのも父親に認めてもらいたいからです。
しかし何度彼が愛を求めても、父親によって切り捨てられています。
病気の時に見捨てられたのは、大きな衝撃だったことでしょう。
おそらくその時点でデイヴィッドは父親への愛を失ってしまったのかもしれません。
束縛から自由になった時間を邪魔されたくない
バーを訪れた父親ですが、デイヴィッドは父親からの束縛を無意識に感じたのかもしれません。
父親が側にいることが、彼にとって束縛へと繋がるものだったのでしょう。
やっと立ち直ることが出来た今の自分、もう父親に邪魔されたくないという思いがあったはずです。
無関心という名の愛の喪失
父親ピーターに見捨てられた経験が、デイヴィッドの心を変えました。
愛されたいと願った父親はそこには存在せず、ただの男としてデイヴィッドにうつったのかもしれません。
どうでもいい存在、無関心な存在です。
自分を失意のどん底に落とした存在に対して、心が鍵をかけたのでしょう。
何も感じない
引用:シャイン/配給会社:KUZUIエンタープライズ
墓前でいったデイヴィッドのセリフは、とても重みのあるものです。
事実とは異なるフィクション
本作は実在する音楽家デイヴィッド・ヘルフゴットの再生までの道のりを描いた映画です。
しかし実際はフィクションとしての面がかなり強い物語だったようです。
公開後、映画を観た家族や関係者から、映画は事実に反したでっちあげであるとして抗議の声が上がった
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/シャイン
家族によると父親ピーターはデイヴィッドとの間に確執はなく、関係は良かったということで、少しホッとします。
さらにワイン・バーのピアノ弾きの仕事は姉が紹介したようです。
家族との繋がりは本作以上に強かったのでしょう。
音楽に愛されたデイヴィッド
本作でモデルとなったデイヴィッド・ヘルフゴットはピアノに魅了され愛された人物です。
彼の生き方は本当の幸せとは何かを考えさせるものでした。
2018年には「デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり」が公開されています。
天才ピアニストの数奇な運命をさらに楽しみたい人にオススメの映画です。