原作では、本好きな「僕」を家に呼ぶための口実として桜良はこの星の王子さまの本を渡します。一方で映画では、序盤に「僕」に渡されるのです。
同じ本ですが「いつ、どのようにして渡されるか」によって、その意味合いが変化することもこの作品の興味深いポイントと言えるでしょう。
原作にないシーンを製作した意味
前章でご紹介しましたように【君の膵臓をたべたい】は、原作と映画では異なる描写がさまざまあります。こちらでは、そのシーンに込められた意味について解説しましょう!
原作にはないシーンの意味を理解しよう!
【君の膵臓をたべたい】の映画において原作にない12年後のシーンは印象的なものとして記憶に残っている人も多いかもしれません。
映画作品としては、鑑賞する人に大きなインパクトを与えて記憶に刻み込んでもらうだけでも十分に成功していると言えます。
ですが、さらに作品を楽しむためにもこちらではこのシーンに込められた意味をしっかりと理解しておきましょう。
原作と映画の結末の違いと込められた意味
前述した通り【君の膵臓をたべたい】の原作には、12年後の描写はありません。
こちらでは、このシーンにはどのような意味が込められているのか原作と比較しながら詳しく解説していきましょう!
原作の結末
原作の結末では、桜良の死後に「僕」は桜良から親友恭子に向けたメッセージが残されている共病文庫を恭子に見せます。
ですが、、恭子は桜良の親友であると知っていたはずの「僕」が桜良の病気のことを黙っていたことを許せずにいたことが書かれています。
しかし、桜良の死後から1年が経ったとき、恭子と「僕」は桜良が望んだような友達になっていたと締められているのです。
映画の結末
映画では、桜良に教師を勧められたことから12年後には桜良の言葉通り実際に教師として働いている「僕」と結婚を間近に控えた恭子が描かれています。
「僕」は、桜良の遺書を見つけることで12年越しに桜良の願う恭子とのつながりを実現したことに加えて「僕」は桜良をどこかで感じることができるのです。
そして、自信を失いかけていた教師の仕事の再出発を決心することが表現されています。
12年後のシーンの意味
この12年後のシーンの捉え方は人それぞれですが、12年後の「僕」の中にも恭子の中にも「桜良は生き続けている」ということを表現したかったのではないでしょうか。
これは、桜良が生前「大切な人の中で生きたい」といったこと、「君の膵臓を食べたい」という想いが叶ったということを伝えたかったのです。
タイトルに込められた深い思い
【君の膵臓をたべたい】は、作品の内容はもちろんですが強烈なインパクトを訴えるタイトルに仕上がっています。
はじめてこのタイトルを読んだ時には、だれもがその意味に疑問を抱いたはずです。