めいはグループに属していない女子だったからこそ、グループに属する子たちにウサギを殺した責任をなすりつけられました。
ここには、「本当はグループに属したくないけれど、属していないとどうなるのか」という女子の本音と不安が見事に描かれています。
必ずある「いじめ」
ウサギを殺した責任をなすりつけられためいは人間不信に陥ります。
小学生にとって、生き物を殺した責任は大変重いです。
さらに生き物好きのめいにとっては絶対にありえないことで、なぜ他の人が自分を信じてくれないのかもわかりません。
引用:好きっていいなよ。/配給:松竹
ここには単純に「多数決の原理」があります。
めい以外がグループとしてお互いをかばい合った結果、めいを犯人にする人が多かったというだけなのです。
これはいじめにおいて絶対になくならない隠蔽の仕方でしょう。
いじめられた側がひとり主張しても、いじめた側の複数人がかばい合えば「いじめていない」ことになります。
めいが「ウサギを殺していない」と言っても、複数人が真逆を主張すれば「ウサギを殺したのもめい」になるのです。
この作品はこうしたはみ出し者扱いされた女子の不安と恐怖と結末を一旦は描き、そのあとでそんな彼女が報われるという展開です。
これは現代の、ある意味シンデレラストーリーとも呼べるでしょう。
おひとりさま
近年流行した言葉の中に「おひとりさま」というものがあります。
その言葉が流行した背景とともに、高校生同士の恋愛であるはずのこの作品を、より深く読み込んでいきましょう。
「ひとり」に「お」と「さま」
「おひとりさま」が流行し始めたのはなんと2005年頃で、この年のユーキャン流行語大賞にノミネートもされています。
今でこそ広く受け入れられています。
しかし当時は「ひとり」に「お」と「さま」という敬称が2つも付いた最上級の二重尊敬語のありえない使い方だったのです。
店員でもない人が、場合によっては自分に対して使うのです。
相手に敬意を示す尊敬語としては絶対にありえません。
「好きっていいなよ」が発表されたのは2008年。
ちょうど「おひとりさま」が馴染んできた頃です。
女子がひとりで生きていくにはとても生きづらい時代の転換期。
そこにひとりで生きる意志の強いヒロインが様々な問題にぶち当たっていく姿も、幅広い年齢層の女子を虜にした理由でしょう。
内面を見ない
大和がめいを気にかけた理由も、めいが大和に惚れた理由も、そして海がめいに惚れた理由も、すべてはその「人間性」にあります。
外見ばかり見てラベリングしてかかる人々の中で、「人間としての内面」を見てくれたことが登場人物たちの心を大きく動かすのです。
めいに対して
めいは特に目立つことのない女の子として周囲から認識されています。
小学生時代の人間不信が尾を引き、同級生とも関わらずに1人で過ごしているからです。
誰もめいの心の内は知りませんし、知ろうとしません。
さらに悪いことに、めいにはストーカーさえ現れてしまいます。
ストーカーは自分の気持ちを押しつけるだけで、同級生以上にめいの心を知ろうとしません。
引用:好きっていいなよ。/配給:松竹
そんな中で、はじめは興味本位でも徐々にめいの本心を気にかけ、内面をみようとしてくれる人生初の人物・大和にめいは惹かれていきます。
大和に対して
大和は端正な顔立ちに均整の取れたスタイルをもち、雑誌にもモデルとして載ったことがあるほど、誰もに好かれる外見をもちます。
だからこそそのカッコよさに群がる女子はあとを絶たず、内面をみてくれる人など現れません。
カッコよさにすべて許されてしまいます。
そんな大和に回し蹴りを入れたのがめいでした。
スカートめくりをした犯人だと誤解されたからとはいえ、大和は自分の外見で物事を判断しないめいに興味をもちます。
めいはようやく現れた、大和の内面をみてくれる人なのです。