現代では、SNSでいつでも時間を問わず友人と繋がっており、何かがあればすぐに友人に話を聞いてもらうことが多いでしょう。
しかし、この映画の中での女子高生達はそういったツールもなければ、恋が終わったとしても詳細を語ることはないのです。
それが美学なのであり、切なく淡い彼女達の心は自分の中でだけで完結して成長していきます。
三人でのお馴染みの行事といえば、緑子の葬式に、多佳子主催の野点、たまに汀子の実家のお店で親がいないときにお酒を飲むようなことです。
現代でいうカフェでガールズトークというようなものとはまた違ってくるのです。
共感不要で突き進む彼女達の強さ
共感は不要、大切な時に一緒に過ごす友人関係
現代では、どんなことも友人に聞いてもらって共感してもらうことで、すっきりしたり心が穏やかになったりします。
しかし、彼女達三人の仲では共感というものは必要ないのです。
それぞれが自分の恋愛をして、それぞれが傷ついて、頼ってきてくれたら話は聞きますが、一緒にその感情を共有することはありません。
しかし、お互いに関心がないというわけではないので、緑子に嫌なことがあり葬式をすると聞けば、しっかりと喪服を着て参加します。
それが彼女達の友情であり、大切な心の繋がりをあらわしていることが分かります。
それぞれが自分の想いを大切にしている
周囲に自分の想いを打ち明けることはなく、ここで自分の気持ちをしっかりと持っていました。
それぞれ三人が違う性格で、違う形で恋愛をしていましたが、その姿が美しくも脆く儚い青春を表していたのです。
神崎が優しく周りからも人気があり、神崎の周囲の女の子たちに僻まれようが、多佳子は神崎にはなびかずにずっと勝を思い続けます。
そして少女達だけでなく、勝や神崎もまた自分の気持ちに正直にまっすぐ生きています。周囲の目や評価は一切、関係のない時代だったのです。
多佳子も周りの友人たちも、誰もが自分の気持ちを大切にぶれることなくまっすぐに相手を想い続けているのです。
それぞれが失恋をした後のラストシーン
崖沿いで野点しながら三人で過ごすラストシーンですが、そこで過去の野点の出来事について話します。
子どもが野点をしているところにあがってきて、お母さんのお腹から生まれてきたときの話をしていましたが、その時の三人の返答が異なっていました。
それが、三人の性格の違いを表しており、それぞれが恋をして恋を終えた時、恋愛の形も個性があったことが分かります。
性格が違うからこそ、仲良く、お互いを尊重して、友達のことも大切に思えるのでしょう。