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スティーブ・ジョブズの伝記映画は2013年版と2015年版があります。ここでは、ダニー・ボイルが監督した2015年版を採り上げます。
誰もが知らない者は居ないであろう、アップル・コンピュータの創始者であるスティーブ・ジョブズ。
彼はビジネスの中でも、プライベートでも我を張りすぎて、周囲の人間や家族とトラブルを起こすことが、よくあったようです。
本作は、3つの新製品発表会の舞台裏で奔走する、緊迫感溢れるスタッフの姿が見所です。
実は、もう重要なサブストーリーがあります。父と娘リサとの関係です。
今回は後者に焦点を絞り、隠された親子関係の秘話を深堀していきます。
舞台は、アップルの新製品発表会
2013年版の「スティーブ・ジョブズ」は、アップルを起業し成功するまでのスティーブの姿が描かれていました。
それと対をなすように、本作では、84年、88年、98年のアップルの新製品発表会のメイキング的内容が中心になっています。
一見、ビジネス面の回顧ものかと思わせられますが…
思わぬハプニングによって、これまで公には語られて来なかったスティーブの本当の姿が垣間見えてきます。
中でも彼の死後まで約40年、殆ど公に姿を見せずにいた彼の娘、リサとの秘話がスティーブ自身の言葉で語られる場面は、必見といえます。
娘を愛せたきっかけは何だったのか徹底考察!
スティーブは愛情表現が苦手だった?
スティーブ・ジョブズは、2005年の家族旅行の際、アイルランドの大御所ロックバンドU2のリーダー、ボノの別荘に招待されました。
スティーブ、娘のリサの3人で、止めどなく懇談が続いていました。ボノはアップルの熱心なファンの1人でした。
ボノがスティーブに「マックの旧モデル『リサ』は、娘の名前から命名したのですか?」と訊きました。
スティーブは同じ質問をリサから訊かれた時は、NOの一点張りでした。母のクリスアンがリサを身ごもったのは1978年でした。
スティーブがアップルでデスクトップ型パソコンの先駆けのモデルとなるマッキントッシュAppleⅡの開発に着手した時期でした。
結果的に発売されたのは1984年になりましたが、間違いなく彼はそれにちなんで娘をリサと命名したのです。
リサに独立独歩の姿勢を学ばせたかった
スティーブがリサに、最初に名前の由来の質問をされた時は、まだリサも子供でした。
リサは高校の頃、彼が財政的に安定する前にも関わらず愛車のポルシェに少し傷が付いただけで次々と買い換えるのを間近で見ていました。
リサは単純な好奇心から「乗らなくなったポルシェを貰っていいか?」と訊いたのを、彼は自分への経済的な依存と捉えたのでしょう。
その考え方を指摘し、人間は例え親子でも良い意味で独立しているものだ、という独立独歩の姿勢を伝えかったのでしょう。