身近な人間の密告で、ある日突然引き裂かれた友情に戦争の恐ろしさを一気に見せつけられることとなってしまったのです。
空襲があろうとふざけていた子供たちにとって、突然やってきた戦争の存在はあまりにも大きく残酷なものでした。
別れの言葉に込められた意味とは?
「ジャン神父、さようなら」
「さようなら、子供たち、また会おう」
引用:さよなら子供たち/配給会社:シネセゾン
この最後セリフの『また』は二度と訪れませんでした。神父もボネ達ユダヤ人もこの後すぐに命を落とすこととなります。
友情を引き裂かれ、二度と会えなくなってしまった残酷ささえも本人たちはしっかりと理解していました。
昨日まで一緒に仲良く遊んでいた友達や先生がユダヤ人だということだけで迫害されていたのです。
子供たちが消えていく壁の向こう側を見つめながら目に涙を浮かべるカンタンの姿は当時の監督そのものなのでしょう。
邦題にもなった『さよなら子供たち』。
この言葉は、理由なく命を奪われてしまう最後のお別れの言葉でした。
戦争を身を持って体感した監督だからこそ心に響く作品とラストシーンを描くことができたに違いありません。
戦争の描写がないのに戦争の残酷さを感じるのはなぜ?
強調せず、わざとらしい演出をしない
この作品では戦場や収容所が映されることはありませんでした。もちろん、武器や血なども見ることはありません。
登場する人々も戦争に対する恐怖やゆがむ表情を見せることもなかったのです。
それどころか子供たちはみんな自然な笑顔で笑い、日々を過ごしていました。
子供なら大声を張り上げて泣き喚きそうな所も静かに手を振っており、戦争や差別がいかに残酷なものかを物語っています。
作中の様々な風景も彼らの心情を語るような、美しいものが取り入れられています。
ユダヤ人を迫害するという国をあげての差別に対してなにもできない悲しい思いが静かに作品から訴えかけられるのでした。
大人には分からない子供という短い期間のほんの一瞬の出来事で戦争に対する深い憎しみがあふれ出ている作品なのです。
丁寧に子供達の関係を描いたからこそ生まれる悲劇
中盤にかけては子供たちが仲を深めていくシーンをメインとして扱っていました。
苦手だと感じる相手の秘密を知り、ひとつずつ一緒に色んなことを経験して仲良くなっていく姿を丁寧に描いたのです。
その中にも戦争の影は見え隠れしており、後半にかけてユダヤ人の差別や戦時中における人々の心が出てきます。
ジョセフの密告により、神父と3人のユダヤ人の子供が連れて行かれました。
しかし、戦争という背景がなければ誰も悪くはなかったのかもしれません。
足が不自由で家すらないジョセフとユダヤ人なのに学校にかくまってもらえていたボネとは立場が異なります。
個人の背景もしっかりと見せ、自然に子供らしさを演出したことにより一層戦争の恐ろしさを訴えかけることができたのです。