映画では家族を失ったボウイの哀しみが、対立してきたトラビスとの和解のきっかけともなります。
一見些細な違いですが、ボウイのキャラクターの印象を左右する脚色です。
映画のボウイからは、荒っぽいけれど人間らしく家族思いな人物像が垣間見えます。
テネシー人を率いるリーダー、クロケット
映画で頼もしいリーダーシップを発揮していたクロケット。
映画では戦死していましたが、史実とは異なるようです。
アラモは陥落した。クロケットはメキシコ大統領サンタ・アナに捕らえられ、処刑された。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/デイヴィッド・クロケット
映画では戦死するまで、バリケード作りを指示したり自ら戦ったりと奮闘していました。
戦死したことにより、映画でのクロケットの頼もしさが印象付けられる効果となっています。
人一倍自由や正義への夢を抱いていたクロケット。
クロケットの死に威厳を持たせる脚色です。
戦闘員をアラモに留まらせたものとは?
映画では最後の襲撃を前に、トラビスはボウイ軍とクロケット軍に撤退を提案します。
援軍が来ないこともわかっている中、何故どちらの軍も撤退の道を選ばなかったのでしょうか。
それは、自由と正義への思いがあったからだといえます。
サンタ・アナの独裁により抑圧されてきた人々を、自由と正義へ導きたかったからです。
たとえ勝つ見込みが無くとも、自分たちの戦いがテキサス独立への一歩となることを望んでいました。
命を落としても、栄光は輝き続けます。
彼らが選んだのは勇気ある撤退ではなく、自由と正義のために戦う栄光の時間だったのです。
決戦の時!史実と異なる脚色で魅せる
映画での最後の襲撃は、とても印象的なシーンになっています。
メキシコ軍の音楽に合わせた行進は圧巻の演出です。
沢山の列をなすメキシコ軍から、その力の強さも感じられます。
アラモの守備隊に勝ち目が無いのは見た目にも明らかです。
このようにじっくり開戦までを描くことで、いよいよ決戦の時、という空気が満ちてきます。
しかし、史実での最後の襲撃は、映画とは違っていました。
戦闘員たちの死に様が刻まれる脚色
寝込みをつかれたテキサス勢は応戦するも劣勢であった
引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/アラモの戦い
上記のように、実際は最後の襲撃は突然の出来事だったようです。
しかし、この最後の襲撃のシーンは、これまで懸命に戦ってきた戦闘員たちが次々に戦死していく映画の一番の見せ場だといえます。
その見せ場である戦闘員たちの死に様を描くための脚色なのです。
勇気ある戦いと、正義と自由への架け橋としての犠牲を描くために欠かせない脚色であるといえます。
戦闘員たちの、戦いへの思い
予め決戦が控えているとわかる脚色にすることで、決戦までの人物描写が可能です。
決戦までの心構えや、戦闘員とその家族たちの思いが丁寧に描かれます。