出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B01ND0B5VO/?tag=cinema-notes-22
「いじめ」と「聴覚障害」というセンシティブな題材を真摯に、鮮やかに描き切った作品「聲の形」。
しかし、2つのワードはあくまで「題材」であり、「本質的なテーマ」ではありません。
この手の(とあえてカテゴライズしますが)作品はしばしば題材そのものに対する問題提起そのものがテーマとなり、メッセージとして「是か非か」そのものを問う傾向があります。
対して「聲の形」は題材に対する製作者の主観的な意見を極限まで削ぎ落とし、あくまで中立的な「できごと」として取り扱うことが徹底されています。
そうすることにより、作品の本当のテーマを鮮明に浮かび上がらせています。
それでは、聲の形が伝えたかったテーマとは一体どのようなものだったのでしょうか?
何重にも重ねられたテーマを読み解くために、まずは3つに大きく分けて考えてみましょう。なお、本記事はネタバレを含む点にご注意ください。
テーマ1:言葉とは何か?
日本人同士であれば日本語はコミュニケーションツールですが、日本国外の人にとっては単なる「不規則な音の羅列」です。
「聲の形」ではその性質上、他の作品が素通りする「言葉というものの前提」について斬り込んでいます。
「声」と「聲」
通常「こえ」に漢字を当てる時は「声」を使い、「聲」というのは旧字体で現在はあまり使われません。
漢字の由来は楽器を打ち鳴らす様子から来たといわれていて、それが変化し「声」になり、今では「人間の声帯から出る音」という意味で使われています。
「こえ」というのは、人間が発する「音」に「意味」を加えたものと考えることができます。
どのような時に音を鳴らすかというと、「感情が変化した時」です。人と人が関わる=音を鳴らしあう時というのは「変化した感情を相手に伝えたい時」なのでしょう。
伝達手段の一つであるということ
「言葉」はただ発するだけなら時間もかからず(音が認識できる人にとっては)特別なコツもいらない手軽な伝達手段です。
とはいえ万能ではありません。意図的に「本当のこと」を隠してしまうこともできます。
本作は言葉の表面的な意味と、そこに表れない心情とを意図的に切り離して描いています。
そのことが本来「見えないもの」であるはずの「聲」の「形」を言葉以上に雄弁に私たちに伝えてくれます。
テーマ2:人と関わるということ
作品全体の大筋となるテーマが「人と人が関わるということ」、つまりコミュニケーションとは何なのか?といったことです。
二人の主人公・将也と硝子は物理的・精神的にコミュニケーションを取りづらい関係から物語が始まります。
そしてそこからの心情の変化を感じ取ることで、視聴者は必然的にコミュニケーションとは何なのか?という問題と向き合うことになります。
伝えるということ
「声が聞こえる」のと「心情の音が聴こえる」というのは少し違うものです。声と感情の間には「意味」があるからです。
私たちはしばしば意味を大切にしすぎて、言葉を信じ、言葉未満の感情は「ないもの」としてあつかってしまうことがあります。
劇中に、硝子が将也に手話を使わずに自分の気持ちを訴えかけるシーンがありました。
意味を正確に理解できなくても、感情の揺らぎの波、文字通り「音」が伝わってきました。私たちは相手の心を読むことはできず、「聲の形」は常に変化する不定形なものです。