まだ死んでいないのにフライングぎみに出てきたのは、よっぽど嬉しかったからでしょう。
カソリックでは自殺者は必ず地獄行きです。
そのためサタン・ルシファーはジョンを地獄に連れていって大勢の悪魔たちから喝采を浴びたかったのではないでしょうか。
また天使のスウィントン同様、サタン役を映画『ファーゴ』などで悪役が染みついたピーター・ストーメアにしたのも完璧な配役でした。
映画における神の位置づけ
『コンスタンティン』から読み取れる神はどのような存在だったのでしょう。
作中ではカトリックの宗教観を拡大解釈してユニークな世界観を作り出しています。
ジョンはあるときアンジェラに彼独自の神への捉え方を語ります。
人間界に入れない神と悪魔はハーフブリードを使ってあるゲームをしている。両者ともそれぞれ善悪のハーフブリードを人間界に送り込む。
そして人間を誘惑し、どれだけ天国と地獄に連れ込めるのかを競っているのだ。
このように要約できる一説でした。これに従えば神は悪魔と戦いながらも一緒に仲良く遊んでいるような存在です。
明らかにカトリックから逸脱する考えですが映画のテーマや空気感には合っているのではないでしょうか。
現実と同じく、この映画でも神は謎多きミステリアスな存在です。そのため悪魔とさえ境界線のない神の捉え方には少なからず現実味があります。
神の思惑
物語から読み取れる神の思惑
チャズが天使として復活するエピローグからこんな神の思惑が読み取れます。
神はジョンがサタンに連れて行かれる未来を知っていた。そのためチャズを守護天使としてずっとジョンのそばに置いていたのではないか。
これは先に書いたチャズの正体にも絡む読解です。この点は観た人それぞれが推測できるよう映画が残した余白だといえます。
誰にも読めない完璧にプランされた神の思惑
映画のラストシーンは、ジョンがビルの屋上で神について語るシーンです。
神はこの世のすべてをプランニングしている。しかし人間にとってそれは非常にミステリアスなやり方である。
要約するとこのように解釈できる言葉でした。これはカトリックに限らない広い意味での神という存在をうまく言い当てています。
ジョンの考えによれば、神の思惑は後々考えれば緻密に計算された完璧な計画です。
しかしそれが実際に起こっている最中にはなぜかそうと気づかれないように密かに進んでいる。
その完璧でありながら決して現在進行で読み取れないプランが、神の思惑というものではないでしょうか。
このように『コンスタンティン』はファンタジーアクション映画でありながら神について深く考えさせる喚起力を持っています。