それは、迫害を受けたユダヤ人全てに向けての感情に繋がっていくのです。
名匠も躊躇した重い映画
スピルバーグ監督が「シンドラーのリスト」制作に躊躇していたのは有名な話です。
名匠と呼び声高い彼が、なぜこの映画の制作に尻込みをしていたのでしょう。
ホロコーストへ向き合う覚悟不足
ホロコーストはおもしろ半分で描けるものではありません。
多くの遺族の思いや、黒い歴史の真実と向き合う必要があります。
監督程の影響力を持っていたら、尚更その重圧は大きかったことでしょう。
実はこの映画を製作するにあたって、他の映画監督にも声がかかっています。
「戦場のピアニスト」で有名なロマン・ポランスキー監督、彼は母をアウシュヴィッツで殺されています。
様々な思いの中ポランスキー監督は「シンドラーのリスト」の監督を辞退しています。
この物語は作り手側も躊躇してしまうほど、重く大切な史実を語っているのです。
スピルバーグ監督は映画報酬を受けとらなかった
スピルバーグ監督は、本作品を通常の映画とは異なる存在として受け止めています。
この映画の売り上げや利益を放棄し、映画公開の翌年1994年にショアー生存者映像歴史財団を設立しました。
この財団はホロコーストの歴史を後世へ残していくのが目的です。
監督はこの映画を売り上げの為の娯楽映画として、世に出してはいけないという考えだったのでしょう。
シンドラーを通した戦争への思い
映画ではシンドラーを通して、戦争というものを記録していきます。
自分がシンドラーの立場だったら、同じ行動が出来たのでしょうか。
子供時代がシンドラーの基盤になっている
シンドラーはナチ党員ですが、ユダヤ人に対して憎しみを抱いてはいませんでした。
映画では描かれていませんが、彼は幼少期にユダヤ人の友人と共に過ごしています。
この経験こそ、シンドラーが偏見を持たずに正義を貫くことが出来た源といえるでしょう。
助ける方も命がけだった
シンドラーの生きた時代は、異常な世界でした。
ユダヤ人の迫害が有名ですが、ナチ党は彼らを助ける人々も迫害しています。
更に遊牧民のロマ族や言葉の違うものたちも標的にされ、いわばナチ党員以外は迫害の対象でした。
多くの人々が「善」を見失っていた時代、正義が罪だったのです。
そんな中、ユダヤ人を救うことは命がけでした。
実際にユダヤ人を助けたという罪で、戦時中多くの人が命を落としています。
シンドラーも3度逮捕されており、それでも救済をやめなかった彼は本当の正義を貫いた人物です。
彼は劇中で下記のようなことを言っていました。
力とは、殺しを正当化できる時でも殺さないことだ
引用:シンドラーのリスト/配給:ユニバーサル・ピクチャーズ
これは監督から世界権力へ向けての大きなメッセージにも聞こえます。
「シンドラーのリスト」は忘れてはいけない記録
監督にとって大きな意味を持つ本作品は、世界へ向けて多くのメッセージを投げかけていました。
白黒映像を使用し、記録映画としての価値を不動の物としています。