そしてロバートの父の大企業と競合していたサイトーの組織の事業も上手くゆくはずです。このようにコマが止まれば大団円になります。
虚無の囚人
もしコマが回り続けたままならバッドエンドになります。
コブと子どもの再会の場が夢想であれば、コブもサイトーも共に虚無に落ちたままということになるでしょう。
コブはモルと虚無の中で夢の王国に生きる道を選んだ事になります。が、その愛するモルもすでに自殺しているのでコブの願望投影に過ぎません。
コブが子どもとの再会を夢想したのは、コブの中にまだ現実に戻りたいという願望があるからでしょう。
サイトーは時間の流れが恐ろしく遅い虚無の中で何百年と生きながらえることになるはずです。
そして現実にいるこん睡状態の自らが老衰することで、いつかリアルに死ぬということになるのではないでしょうか。
コマが回り続ければコブとサイトーは虚無の中の囚人となり一生闇の中に生き続ける存在になるといえるでしょう。
変わったキャラの名前に込められた意味
ノーラン監督にはキャラの名前へのこだわりがあり、この映画もその例外ではありません。
メインキャラ全員の頭文字を足すと…
主人公のコブや妻のモルという名前は欧米でも珍しい名前です。
コブやモルにはラテン語の意味がふくまれています。コブはラテン語では神に属するものという意味合いがあるそうです。
また高名な建築家のヘンリー・コブがモデルにもなっています。
夢の中でまさに神のように都市の建造物などを創造する主人公にコブという名前はぴったりでしょう。
コブの妻モルはラテン語の「悪い・mal」からきています。コブを虚無の中に引きずり込もうとする女にモルもまたぴったりの名前です。
また主要キャラの頭文字を組み合わせると「DREAMS」になるというのもこの映画の有名なトリビアです。
コブにも通じるサイトーの名前の由来
日本人として気になるのは渡辺謙演じるサイトーです。ただ日本人によくある名前の斉藤をつけたのだと誰もが思うでしょう。
しかし実はここにもノーラン監督の意図があるのかもしれません。サイトーは今では数多くの漢字で書かれる名字ながら語源があります。
諸説ある中で一般的には平安時代、伊勢神宮の齋宮頭(さいぐうのかみ)という役人につけられた名字・齋藤になるようです。
そしてその齋宮頭とは何と、神事に当たる官職でした。ここでサイトーが同じく神に属する意味を持つコブとつながります。
ノーラン監督が意図していたのかどうかは分かりませんが、興味深い一致だといえるでしょう。
虚無の真意とは
映画の中、人の心の中の最も深い場所として虚無がでてきます。その真意を探りましょう。
カトリック教のリンボと重なる虚無
映画に出てくる虚無とは「Limbo・リンボ」の日本語訳です。リンボとはカトリック教において辺獄を意味します。
欧米ではリンボ・辺獄は大抵「Children’s Limbo」と呼ばれ、幼くして死んだ子どもたちが行く場所を指すのです。
キリスト教では誰もが原罪を背負って生まれてくると考えられています。
そのため、まだ聖職者から洗礼を受けていない子どもが死ぬと天国には行けなくなるのです。
つまりリンボ・辺獄とは天国でも地獄でもない不可思議な場所だといえます。