だからこそ彼はのめり込み、幸せをかみしめる為に踊り続けたのではないでしょうか。
友人マイケルの存在が与えた影響
ビリーには女装好きな親友マイケルがいます。
彼の存在はビリーとバレエの関係性に大きな影響を与えました。
「好きなこと」をするのは間違っていない
当時のイギリスは大きな階級社会に別れていました。
いうまでもなくバレエは上級階級が楽しむものだったのです。
劇中でビリーはウィルキンソンに下記の台詞をぶつけていました。
中流階級で良い所に住んでいる癖に
引用:リトル・ダンサー/配給会社:BBCフィルムズ
自分は下流階級なんだ、というビリーの辛い思いが爆発しています。
当時、男子がバレエをやることも下流階級の人間がバレエをするのも異常なことだったのです。
当然女装の趣味は認識されていなかったことでしょう。
しかしマイケルは、女装趣味であることを否定しませんでした。
マイケルの存在は、人と違っていても好きなことをすることが大切だとビリーに教えたのです。
ビリーの味方
少々変わった趣味を持つマイケルですが、だからこそ彼はビリーの良き理解者になりました。
同じ目線で世の中を見てくれる友人はかけがえのないものです。
マイケルはビリーの夢を後押ししてくれる存在だったといえます。
ラストシーンで、マイケルが舞台を観に来ていましたが、恩師であるウィルキンソンは一緒ではありませんでした。
それは彼女が同じ階級・同じ目線の人物ではなかったからでしょう。
監督は階級社会というものを前面に出し、痛烈な風刺もいれたかったのではないでしょうか。
成長したビリーを映した意味
ラストシーンは映画ファンの中で賛否両論別れる所です。
成長したビリーはなぜ描かれたのでしょう。
否定的な意見
映画のラストに、成長したビリーを出したのは良くないという意見も多く出ています。
大人になったビリーが突然登場することで、話が急展開し過ぎるように感じてしまうようです。
そしてアダム・クーパーが演じたことで、ただの話題作りではないかという厳しい意見も……。
しかしラストシーンに、成長したビリーとしてアダム・クーパーが出てきたのには理由があるのです。
成長したビリーは下流社会の光
最後に登場したビリーが躍っているのは「白鳥の湖」です。
そして彼のパートは主人公なのです。
このステージは実際の舞台にリンクしており、アダム・クーパーは後にマシュー・ボーン演出の同舞台で主役を踊っています。