とにかく数秒おきに超絶の顔芸か超速球の早口トークを見せているのです。これには観ているだけで疲れたという人もいるでしょう。
おそらくキャリーの素顔はすごくマジメでおバカ役に完全に入り込んでしまうのでしょう。
エンドクレジットのNGシーンではそんな彼の役者としての誠実さも垣間見えます。
しかしその反面、すべての演技が作りこまれているので観る側には嘘っぽく感じられることもあります。
その意味で嘘をつけなくなって困るフレッチャーという男を演じるのに、ジム・キャリーは最適だったのかもしれません。
ミスキャストとも取れる要因
一方でジム・キャリーはミス・キャストだったのではと思わせるところもあります。
フレッチャーは仕事や女遊びが過ぎて家族との約束も守れません。幼い子どもにさえ嘘をついてしまうのです。
しかし演じるキャリーは子どもそのもので、マックスとの相性も完璧です。
キャリーは笑いを取るために嘘はついても、自身のエゴや欲望のために嘘をつくような悪い大人には見えないのです。
もう少しリアルに弁護士を演じられるコメディアンだった方が家族ドラマとしての筋は立ったのではないでしょうか。
いずれにせよ、ここは意見が大いに分かれるところでしょう。
監督の描く愛の形
トム・シャドヤック監督は本作をふくめ3つの作品でジム・キャリーとコンビを組んでいます。監督の描く愛の形に迫ります。
家族愛
その嘘つきの性からかフレッチャーは最初から離婚しており、実の子のマックスとは少し疎遠になっています。
さらに妻のボーイフレンドの別の町への移住に伴い離れ離れになってしまう状況に立たされました。
一番かわいそうなのは幼いマックスです。彼は遊び上手なパパを大好きな反面、その嘘つきぶりに傷ついています。
そんな息子を思いやり誠実さに目覚めたフレッチャーは空港であるとんでもない行動に出ます。その原動力はやはり家族愛だったでしょう。
最後、マックスが誕生日ケーキに両親の仲直りを願わなかったことは、逆に家族愛が確かになったことを伝えます。
博愛
シャドヤック監督はこの作品で父子の絆を軸にしながらより普遍的な愛を訴えているようです。
フレッチャーは嘘をつけないことで最初は痛い目にばかりあいます。
しかしそれが笑いを生んだり公正な行いに繋がったりしたことで考えを変えました。
最終的に彼はバカ正直であることのもう1つのポジティブな面に気づきました。結局、それは自分の気持ちに素直になることでしょう。
プライドに執着せず素直になることは人への愛、ひいては博愛にもつながります。
フレッチャーがそれまで忌み嫌っていたホームレスに有り金をすべてあげるシーンに、それが何よりも表れているといえるでしょう。