この疑問は、続編に対する伏線だったのではないでしょうか。
クィレルを灰にした「母の愛」
当時の社会的なJ.K.ローリングの状況
作者であるJ.K.ローリングは夫と離婚し、娘さんと生きる選択をしました。
しかし幼い子供を養いながら生きていくにはとても厳しい環境にあり、うつ病を患っていたことは有名な話です。
それでも生活保護を受給しながら必死に子育てをし、生きていきました。
この経験がハリー・ポッターシリーズ、特に本作に大きな影響を与えています。
子供の存在
彼女にとっては娘さんの存在そのものが生きる原動力になっていました。
母子家庭なら子供を守る手は2つしかありません。守れるのは母親である自分自身。
大げさに例えるなら、子供が危険にさらされていたら相手を傷つけてまで守りたいというのが正直なところでしょう。
J.K.ローリングの覚悟こそがクィレルを灰にした「愛の護り」という魔法の原点なのです。
もし作者が女性でなかったなら
ハリーポッターシリーズとは常に“母の愛”の話です。そして時々、母の目線でハリーを見守るように物語が進む時があります。
だからこそ世界中で人気が出たのではないでしょうか。
人間は皆、母の愛を無意識にでも求める生き物であるからです。
もし仮に、このシリーズが男性によって書かれていたとしたら、ここまで人気にはならなかったかもしれません。
全体的な作者のメッセージを汲み取る
ハリーポッターシリーズの中には、繰り返し訴求されるメッセージが盛り込まれています。
その真意は、自分という存在が能力や生まれによって決まるのではなく、自分の選択で決まるということです。
これは、ダンブルドアが言っている時もあれば、ハリーの名付け親であるシリウスが言っている時もあります。
場面や言っている人が変わっても絶対的にJ.K.ローリングが伝えたい大きなテーマなのでしょう。
逆に、ハリーポッターシリーズに出てくる闇の魔法使いたちの生き様を、悪い見本として指し示しているようにも見えます。
そしてこの物語を受け取り手の心に語りかける人生の教訓のようでもあります。
クィレルやヴォルデモートが人生どこか一場面で別の選択をしていたら、どちらも悪には染まっていなかったかも知れない。
たとえ孤独で頼る者がいなくても、安易な選択をしてはいけないのだという子供たちへの警告のようにも感じます。
「ハリー・ポッターと賢者の石」で描かれているヴォルデモートとクィレルの接点や2人の思惑、そしてクィレルが灰になってしまった理由を考察しました。
この考察を読んでから改めて作品を観ると、物語の全容がより深く理解できると思います。
ぜひもう一度「ハリーポッターと賢者の石」を見て、あなたなりの考察を導き出してください。