唐突で安易な思惑に思えますが、その可能性がないとはいえません。むしろその可能性は高いと思います。
しかし、以下のように考えると、人間の業を描いた映画『羅生門』の結末にふさわしいかもしれません。
あの赤ん坊を捨てたのは誰?
あの赤ん坊を捨てたのは、杣売りだったのではないでしょうか。
最後に赤ん坊を抱えて帰っていったあの杣売りです。
そう考える根拠は二つあります。
まず一つは、杣売りが過剰に戸惑っている様子であること。もう一つは守り袋です。
杣売りは最初から戸惑っており落ち着きがなく感情の起伏が激しい様子でした。
いくら不思議な話を聞いた後だからといって、あの思い詰めた様子は異常です。
杣売りは、自分のしたこと=赤子を捨てることが本当に正しいことなのか、それがわからなくて混乱していたのではないでしょうか。
「わからねえ」と執拗に繰り返す杣売りは、赤子を捨てるか捨てないか、迷っていたのではないでしょうか。
赤子を覆っていた着物を下人に取られ、赤子がこのままでは死んでしまうと目の当たりにした杣売りは赤子を育てる決心をします。
迷いから解放された後は、晴れ晴れとした顔で羅生門をあとにしたと考えられないでしょうか。
もう一つの根拠は、赤ん坊と一緒に置かれていた守り袋です。
この守り袋というアイテムは、原作には出てきません。映画でわざわざ付け加えられているのです。
映画では、犯行現場に残されていたものの一つとして守り袋がありました。そしてもう一つの守り袋は赤ん坊が携えていました。
第一発見者として守り袋を見つけた杣売りを指し示すように、赤ん坊が持っていた守り袋。
杣売りが赤ん坊を捨てていたとしたら、旅法師が赤ん坊と杣売りに見出した希望はとんだ茶番です。
旅法師は欺瞞に満ちた世の中に騙された哀れな人間になってしまいます。
考えすぎかもしれません。果たしてあの赤ん坊は何だったのか。
謎は謎のまま、藪の中の真実のようにわからないままです。
偉大なる金字塔『羅生門』
夭折の天才芥川龍之介の小説を元に、戦後の日本映画界を牽引する黒澤明監督が製作した映画『羅生門』。
謎に彩られた筋書きは多様な考察を包摂する幽玄を有しています。
また、この映画の良さは原作・脚本の妙だけではなく、黒澤監督特有の映像美や構図など多岐に渡ります。
『羅生門』は日本が生んだ天才が世界に認められた作品です。
この解説を読んだ後で、原作も合わせてもう一度鑑賞してみるのもいいかもしれません。
あなただけの藪の中の答えが見つかるかもしれませんよ。