最も怖いのは、原因も対処法も分からないまま明らかに不吉な何かがやって来るという恐怖です。
そういう観点からいえば、たとえば『リング』は前半は紛れもないホラーですが、後半は「原因の究明と対策の発見」に話の焦点が絞られています。
ホラーではなく謎解きミステリーに変貌していくため、怖さはどんどん薄れていきます。
ただ、見つけたはずの対策に意味がなかったという展開で、もう一度強引にホラーに引き戻したことであれだけの人気を獲得したわけです。
「茶碗の話」は一体何が怖いのか、何から目を背ければ良いのか分かりません。
怖いのに、恐怖から逃れる術がないのです。
「茶碗の中」にある音と恐怖の関係
音の引き算は現代ホラーにも
「正体が分からない怖さ」や「音の引き算」などを受け継ぎ、現代的にブラッシュアップしているのは黒沢清でしょう。
中でも『回路』は、『怪談』が持つ怖さを踏襲し「何もしなくても、ただそこに存在するだけで怖い幽霊」を描き出すホラー映画の金字塔です。
明確な因果関係を描かないため「まるで意味が分からない」と否定的に受け取る人も多く、公開から20年近く経った今も賛否両論がある作品です。
本作でこうした立ち位置にあるのが「茶碗の中」ではないでしょうか。
「意味が分からないから怖い」と思う人と「意味が分からないから怖くない」と思う人…世の中は面白いですね。
恐怖を与えるのではなく「感じ取らせる」
「茶碗の中」では1つ、瞬間的な「音」が発せられます。それは落とした茶碗が割れる音です。
しかしその音は脅かしでもなければ何かの区切りでもなく、日常の光景と帰します。
茶に映り込む誰かの存在に恐怖するのではなく、茶碗が割れてしまった勿体なさを嘆くのです。
観る者にとっては「それでいいの?」という部分ではないでしょうか。
つまりこの作品では、視覚や聴覚にダイレクトに働きかける要素を「恐怖」の対象にしません。
音の中に違和感を忍び込ませ、それを観る者に感じ取らせるという間接的な方法で恐怖を作り出しているのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回はホラー映画の名作『怪談』について、ネタバレを含みつつその恐怖の秘密に迫ってきました。
「得体の知れない恐怖」を感じさせるのにはいくつかの条件と手法があり、邦画では昔から用いられてきた手法です。
そして音や驚かしがないのに、なぜ『怪談』が怖いのか納得いただけたかと思います。
現代のホラー映画はどちらかというと残忍で猟奇的なものやパニック物が多く発表されています。
心の底から湧き上がる恐怖を楽しみたいホラー好きにとっては、「こういうことじゃないんだよなぁ」という作品も多かったのではないでしょうか。
そんな作品に飽きた方には、ぜひこれぞホラー映画といわしめる『怪談』の恐怖を味わうことをおすすめします。
「あるべき音の無い映像」で心理をかき乱される恐怖を改めて感じてみてください。