とてもね。
引用:シェルブールの雨傘/配給会社:東和
ジュヌヴィエーブはなぜ、こんな質問をしたのでしょうか。
彼女の今の境遇はあまり幸せとは感じ取れない顔付きです。自分は本当の幸せを掴んでいる確信がないように思えるのです。
だからギイに確認をしたのではないでしょうか。あなたはどうなの?と。
それぞれの幸せの現在は
ギイはマドレーヌと初めの頃とは違う幸せを見つけ、子供も出来、夢だった自分のガソリンスタンドも持った、という自信が見えます。
去っていくジュヌヴィエーブの心には「なぜ私はギイを待てなかったのだろうか」と自問が浮かんだことでしょう。
ジュヌヴィエーブは自分の恋愛に対する幼さを、あの雪の夜に痛感したのかもしれません。でも多くの時間が流れすぎました。
若い二人の「経験不足」の恋愛に「時間」と「距離」と「第三者の登場」という試練が与えられました。
その結果をラストシークエンスが物語っているのです。
二人は幸せを掴んだのか?それは観客の心に
ジュヌヴィエーブとギイは別々の道を歩き、それぞれの幸せを求めて来ました。
その結果がエンディングに表現されたわけですが、それをどう受け止めるのか、は観客の心に委ねたというのが監督の意図のようです。
この稿では、冒頭で「悲恋」と書き、前段のような印象をまとめました。
しかし、ジュヌヴィエーブがカサールとの結婚に幸せを見つけ、ギイはマドレーヌとの幸せを築いたと見ても間違いではないでしょう。
いや、本来結ばれるべきだった二人の愛は引き裂かれたままなのだ、と感じる人がいても不正解とはいえません。
観た人それぞれが二人の愛のありさまを想像し味わうことこそ、この映画の面白さといえます。
こうした味わいはフランス映画独特の持ち味であり、ハリウッドでは出せない味ということが出来るでしょう。
悲恋を盛り上げるミシェル・ルグランのたくらみ
その面白さを盛り上げているのがミシェル・ルグランのメインテーマです。
ここで二人の愛は引き裂かれたのだ、と感じた人。
またそれぞれが幸せを見つけはしたが、結ばれるべき二人は別れたままと感じた人は、この音楽に涙することでしょう。
転調を極めて有効に使ったメロディーはジュヌヴィエーブとギイの心の哀切を歌い上げています。
全編セリフなし。歌唱で物語を進行するというハリウッド的ミュージカルとも違う独特の世界を作り上げたミシェル・ルグラン。
主役の二人にはメインテーマを与えましたが、唯一自分のメロディーを持っていた人物がいます。
それはカサールです。後に英詩が付き”Watch What Happens”としてジャズのスタンダードになる名曲が彼のテーマ。
カサールにテーマが与えられたということは、それだけ彼のこの映画における存在が大きいということでしょう。
ジュヌヴィエーブの愛を最終的に獲得したカサールの存在は、ギイと彼女の間にあって特に注目すべきポジションであることを示しています。
重くなりがちな話をポップに演出
監督のジャック・ドゥミは、本作の後、再びミシェル・ルグランと組んでカトリーヌ・ドヌーヴ姉妹の映画を作りました。
「ロシュフォールの恋人たち」です。この映画でもそうですが、ドゥミの作る世界はまるで「ファンタジー」のようにポップ。
本作の冒頭のタイトルバック、レンガの舗道を真上から撮り、消失点に向かって降る雨という構図を置きます。
そこを行き来するカラフルな傘、そして人の流れ。色彩も構図も非常にお洒落でポップです。
更に、人物が着ている服は基本的に無地で、パステル調が中心。背景の壁の色も濃いピンクや緑一色に塗られています。
歌唱で綴られる物語のファンタジー性を更に高め「絵本」「おとぎ話」の世界のように観客を夢心地の空間に誘(いざな)うのです。
「時間」と「距離」に翻弄された若い二人の「悲恋」を重く悲しいだけに終わらせない監督の演出が光ります。
個性豊かな表現だけに長時間に渡ることを避け、90分にまとめた点も良かったでしょう。