出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00F4MWMXM/?tag=cinema-notes-22
1950年代を中心に時代を席巻したハリウッド・ミュージカル映画。
その中でもMGMのアーサー・フリード製作による作品群は名作揃いで知られています。
「雨に唄えば Singin’ in the Rain」は1952年に作られたミュージカル映画でジーン・ケリーの最高傑作とも称されます。
よく練られた脚本、素晴らしいタップとダンスそして色彩、耳に心地よい名曲の数々、楽しいユーモアとギャグ。
どれをとっても超一流で、これこそThat’s Entertainment!といえるでしょう。
ここでは本作がアメリカ・ミュージカル映画の金字塔となった名作たる所以を紐解いていきましょう。
さらに今から70年ほども前の映画ならではの制作舞台裏にも迫ってみたいと思います。
なぜ「金字塔」か?理由①オリジナリティと見事な脚本
オリジナル性の高さ
1940年代後半から1960年代のハリウッド・ミュージカル映画の多くは、ブロードウェイでヒットした舞台を映画化していました。
しかし、この「雨に唄えば」は映画が先で、その後ブロードウェイで舞台ミュージカルになったのです。
したがって、本作が封切られた時には誰も見たことのないオリジナル性の高いミュージカルが出現したわけで観客にとって大変新鮮でした。
プロデューサーのアーサー・フリードにとって同じジーン・ケリーを起用した「巴里のアメリカ人」の成功が背後にあったと考えられます。
「雨に唄えば」と並び称されるアメリカ・ミュージカルの大傑作である「巴里のアメリカ人」。
ガーシュインの音楽に乗って繰り広げられたジーン・ケリーのタップ&ダンスと構成はオスカー6部門を獲得しました。
この「巴里のアメリカ人」も、映画がオリジナルでした。
この成功を受けてアーサー・フリードが、オリジナル作品の魅力を再認識したと見ることが出来ます。
そして彼は脚本家に「雨に唄えば」という曲を元にしたミュージカル映画の脚本を書くように依頼したのです。
本作のタイトルチューンでもあるこの歌は、アーサー自身の作詞で、過去に何回か映画で使われた曲でした。
アーサーの無茶振りを跳ね返した完成度の高い脚本
脚本家アドルフ・グリーンとベティ・カムデンの二人は、アーサーからの無茶振りに困惑したといいます。
しかもタイトル曲だけではなくアーサーが過去に作った20曲以上の歌すべてが出てくる映画を作れ、という指示でした。
悩んだ二人は、アーサーが曲を作った時期が、サイレントからトーキーに映画が変化する画期的な頃であったことに目をつけたのです。
そこで脚本家は俳優たちにも大きな変化を生んだトーキー誕生のバックステージ物に仕立てようと考えたのでした。
二人の脚本家が練り上げたシナリオの出来は完成度が高い素晴らしいものになりました。
ダンスと歌がふんだんに取り入れられたのは勿論、トーキー誕生期のドタバタをコミカルにしかも愛情を持って描いたのです。
グリーンとカムデン、二人の脚本家の目の付け所が見事だった、といえるでしょう。
トーキー製作過程の混乱に、コメディと恋愛という王道の要素を加味したシナリオ構成で、映画成功の半分は掴んだといえます。
なぜ「金字塔」か?理由②ケリーとオコナーの魅力
ジーン・ケリーのタップ&ダンスの素晴らしさ
完成度の高い脚本に輝きを与えたのは魅力的なキャストたちでした。
先述のように前年の「巴里のアメリカ人」(ヴィンセント・ミネリ監督)で、独創性に溢れたダンスを披露したジーン・ケリー。
この「雨に唄えば」でも名手ケリーが更に完成度の高い磨きのかかった激しい動きのダンスを披露し観客を魅了します。
そのハイライトは劇中劇「踊る騎士」の中でシド・チャリシーを相手に踊りまくる「 ブロードウェイ・メロディー Broadway Melody」でしょう。
テクニカラーの色彩の鮮やかさを計算にいれた舞台美術と衣装も見どころ。
そして映画史に残る名シーンとなった、雨の中で歌う「雨に唄えば Singin’ in the Rain」。
激しく長いダンスがあるわけでは無いですが、心に残る素晴らしいシーンとなりました。
ボードビリアン出身・ドナルド・オコナーの見事な「芸達者」ぶり
本作のコミカルダンス担当といってもいいドナルド・オコナーの存在を忘れることは出来ません。