この行動から読み取れるのは、サマーは本気でトムのことが好きだったという心境です。
トムは、彼女の本心と裏腹の言葉に合わせ軽い男を演じていた為に、彼女は別れるという決断をしたのでしょう。
サマーはトムが自分を強く愛してくれていたら、と願っていたはずです。
劇中ではトムがフラれたように語られていますが、先に失恋していたのはサマーなのかもしれません。
次の恋愛に行く為にけじめをつけたかった
トムに別れを告げる為にベンチで待っていたサマーは、自分に中に残っているトムへの愛に終止符を打ちたかったのではないでしょうか。
そして自分が意図せずに心の奥にしまっていた本心(真実の恋を信じている)も伝えたかったのでしょう。
もう一度会いたかった
結婚式で一緒に踊った時に、恋人がいるといわなかったサマーですがその理由を下記のように答えています。
踊りたかった
引用:500日のサマー/配給会社:フォックス・サーチライト・ピクチャーズ
サマーの素直な気持ちではないでしょうか。
ベンチでトムを待っていたのも単純に「もう一度会いたかった」からなのかもしれません。
手を重ねて去った真意
最後に、サマーがトムの手の上に自分の手を重ねていったのはなぜでしょう。
トムにも幸せになって欲しいという思い
自分が先に運命の相手を見つけ、トムを置き去りにしてしまう心境があったのでしょう。
手を置いたのは大切なトムに幸せになって欲しい、という彼女の心の現れなのではないでしょうか。
サマー的な言葉で表現するならば「手を置きたかったから」といえるでしょう。
いかないでといって欲しかった
このシーンを深読みすると「卒業」の映画に繋がります。
サマーはもしかしたらトムに最後の賭けをしていたのかもしれません。
トムが自分を好いていることは感じていたはずです。
もしもまだ本気で自分を好きなら、何かモーションをかけてくれるかもしれないと思っていたのでしょう。
サマーはトムの強引な態度を期待していたのかもしれません。
君の幸せを願ってる
引用:500日のサマー/配給会社:フォックス・サーチライト・ピクチャーズ
トムの答えは、サマーが本当に聞きたかった言葉だったのでしょうか。
リアルな恋愛が魅力
『500日のサマー』は脚本家のスコット・ノイスタッターの体験をもとに描かれています。
男性目線での恋愛なのです。
女性が共感出来る部分
女性は天邪鬼な部分を沢山持っているといわれています。
劇中に描かれているサマーは、まさに天邪鬼な女性像を浮き彫りにしているのです。
運命の愛を信じながらも、そんなものはないと虚勢を張って生きています。
自分の本心に気がつくと、自分の求める男性像とは違うトムに別れを持ちかてしまうのです。
女性なら、共感出来る部分があるかもしれません。
男性が共感出来る部分
本作は男性目線で描かれている為、男性の方が共感しやすいようです。