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推理小説界きっての社会派として知られる松本清張のベストセラーミステリーを1974年に映画化した「砂の器」。
日本映画としてもその完成度の高さから歴史に残る一作として人々の記憶に長く留まっている作品です。
ハンセン病という当時としても社会的に取り上げることの難しいテーマを敢えて事件の背後に据えました。
原作を大胆に改変した橋本忍入魂のシナリオの素晴らしさが、この映画の最大の魅力でしょう。
後半、ピアノ協奏曲「宿命」に乗せてカットバックされる和賀英良の一生は、そのメロディーと映像が観る人の魂を揺さぶらずには置きません。
名匠野村芳太郎、名キャメラマン川又昂など当時の邦画界の最高のスタッフと名優たちの演技も素晴らしい本作。
清張が「原作を超えている」と語ったというのは広く知られた有名なエピソードです。
ただ、和賀英良の犯行動機の弱さは原作においても指摘されていたことで、真の動機とは何だったのか、は多くの推測を呼んでいます。
そこにはハンセン病という重いテーマがついて回ることは確かでしょう。
本作が邦画界に燦然と輝く名作文芸作品(ミステリー)となった理由を考察していきましょう。
和賀英良はなぜ犯行に至ったのか
犯行動機の深いところ
和賀が亀嵩であれだけ世話になった命の恩人でもある三木巡査を殺したのは何故か。
これについては小説でも映画でも、一応は「自分の正体」が露見することを恐れたためとされています。
それはそれで妥当なところでしょう。
確かに出自を偽っていたこと、ハンセン病の父がいまだ存命であること、などは彼の未来を断つのに十分ではあります。
しかし、和賀は「それだけのこと」で三木巡査を殺すものでしょうか。
秀夫が三木のところを脱走したのが原点なのでは
秀夫が父と別れ、三木巡査の家に世話になっていたものの、そこを脱走します。
恐らくは大阪に行き、和賀家で奉公に就いたのでしょう。その時から三木とは会っていません。
そして父ともあの駅頭での別れ以来会っていないのです。探してもいないようです。
この時期に三木巡査殺害の深い動機が隠されているのではないかと読み取れます。
ハンセン病の影響
原作の舞台は昭和10年代
松本清張の原作では、本浦親子が流浪する舞台は昭和10年代に設定されていました。
今は病気の理解も進み、良い治療薬も出来ていますが、当時の偏見と差別は酷いものだったといわれています。
国中が戦争に向かって突き進む中での「隔離政策」は苛烈を極め、罹患者に対する偏見や差別は想像を絶したとされています。